思考は解釈でしかない

あなたが今考えていること、事実だと思っていること、誰かへの憎しみでさえも、現時点での世界に対するあなたの解釈だ。思考は、疲れや体調、ホルモン、直前の出来事、あるいは、天気や気圧によって簡単に影響を受けてしまうものである。当たり前のことだが、大勢の人はそう思ってはいないらしい。沢山の人が思考と事実を同一と見做している。

いくつか例を挙げてみよう。

あなたはどん底にいて、世界は悲しみに溢れている、と感じている。明日もこの世界が続くに違いないと本気で思っている。なぜならば、昨日もそうだった。一昨日もそうだった。ここんところ、ずっとそうだ。翌日、買っていた宝くじが大当たりしてあなたは億万長者になった。昨日までのどん底から、一気に世界が輝きはじめた…。

ちょっとこれは極端だ。もう少し身近な例を出そう。

今日はなぜだか職場のみんなが素っ気ない。気になるあの娘も、なんだか冷たい。分かった。きっと、こないだの仕事のミスのせいだ。僕のせいでみんなが帰るのが遅くなってしまった。きっと僕のことを嫌っているに違いない。ところが、帰宅直前になって、みんながサプライズで用意してくれていた昇進祝いにより自分の考えが間違っていた事を理解する。

考えていることがあくまで解釈ならば、それは事実かもしれないし事実ではないかもしれない。この点に留意するだけで、思考と「あなた自身」に距離が生じ、思考を客観的に眺める事が出来るようになる。かといって、思考を手放すことは出来ないが、思考とあなた自身に出来た隙間に優しさを詰め込めることができたなら、もっと楽に生きられるだろう。


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