見出し画像

22歩 働きたい意思を遮るものなど要らない


昨日3/8は国際女性デーでしたね。
国によっては祝日に指定しているところもあるようです。中国は婦女節といって女性だけは半日祝日なんだとか。



そんな日に紹介したい広告コピーはこちら。

家庭には入ったけど
社会から出たわけじゃないんです、私。

毎日読みたい 365日の広告コピー
【ユーキャン】ポスター2014年


この言葉を読むと
友人が結婚後に再就職しようとした際に
旦那さんから反対されたときのことを思い出します。



私の高校時代の友人は、もともと自動車部品のメーカーで働いていましたが、結婚をする際に退職して他県に引っ越しをしました。
年の離れた旦那さんは、有名メーカー勤務でお給料もかなり良いとのこと。生活費という点では、旦那さん1人の稼ぎでも、まったく問題なく過ごすことができるレベルでした。なので、私の友人は一旦は専業主婦としての結婚生活をスタートさせたそうです。

でも大人の二人暮らしって、そんなに家事に時間取られないじゃないですか。
大豪邸で部屋数がたくさんあるところに住むなら、掃除とかが大変かもしれないですけど、一般的な住宅での暮らしなら2時間もあれば終わっちゃうでしょう。(そもそも大豪邸の方は掃除は業者に委託するんですかね。)


そうするとね、暇なんですって。
旦那さん以外の登場人物がいない生活ですからね。そりゃそうだ、と思います。


もともと彼女は賢い人で、新卒で入った会社でも営業職として仕事に励んでいました。
働くことで得られる、他者との繋がりだったり、感謝されたときの嬉しさや充足感だったりを、経験しているわけです。そのときのように、また働きたいと思うって、ごく普通の感情だと思います。


でも旦那さんはそれに反対しました。
自分が働いているときは、彼女は家のことをして
自分が家に帰った時には、かならず出迎えて欲しいんですって。


私はそれを聞いた時に、「はぁああ?」と呆れた声しか出せませんでした。
彼女の働きたいという意思に対して、反対する理由に1ミリも共感できない。
もちろん自分の意思で専業主婦をやっている場合は、いいんです。その人のやりたいことなんですから、他人がどうこういう事ではありません。
でも彼女は家の外でも、仕事をしたいのです。憤りとはこういう事だなと思いました。





私の好きな言葉のひとつは
「働くことは生きること」



どの職業でも、やりがいを持って取り組めている人は格好良いし、尊敬します。
「誰かの役に立っている」と感じれることは、代え難い幸福感を得られると思っています。
誰もが働くことを自分の意思で選べる世界にしていきたいですね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?