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自然ということ

今日は、少し哲学的なお話をしたいと思います。
車の話から、だんだん遠退いていますが、このお話は、生きていく上で、私のベースになっているところですので、自己紹介がてらに書くことにしました。


山や森だけではない

自然というと、一般的には、山や川や海や、森林といった、いわゆるネイチャー的なモノのことを考えますよね。
私もそうでした。
でも、あるときハッと気がついたのです。

自然って「自ずから然るべき(おのずからしかるべき)」と書きます。
解り易くいうと、「ありのまんま」ということです。
ということは、人も、私の身体も、今住んでる状況や、街の建物さえも、自然ということなんだなと。

意図して何かが出来ているわけではない

私たちは、やもすれば自分一人の力で生きていると考えがちです。
でも、人間(じんかん=にんげん)という漢字が示すように(人の間、ひとのあいだなので、世間という意味合い)、私たちは絶対に一人では生きていけない状況にあります。

人は生まれる前は、一つの細胞で、そこから分裂して、今の形になるには、多くの栄養が必要です。母親からの栄養や、多くの動植物の命をいただかなくては、ここまで細胞分裂を繰り返すことは出来ません。

今お財布の中にあるお金

生きていくには、多少なりのお金が必要です。
今皆さんのお財布にあるお金は、ご自分で稼いだと思われている方も多いかと思いますが、商売には、お客様がいます。

この社会は、皆で「お金というモノ」と、「様々なモノ」とを交換できるシステムを構築しているから、生きていけるのです。
ですので、決して「一人で稼いで生きている」といえないのです。

誰も意図していない

今この瞬間ここで生きているということは、様々な偶然が重なって、起きている、たまたまの偶然の産物です。

夢を持って、一生懸命に努力して、掴んだ地位や結果は、自分の意思だと思いたいのが人情ですが、それも、決して、すべてが自分一人で成り立ったモノではない、ということは、これまでのご説明で申し上げた通りです。

ですので、私はこれを一般的な「ネイチャー的な自然」と何ら遜色がないと考えています。

宇宙規模で起きていることすべて

ではもう地球上で起きていることすべて、いやいや、それを通り越して、宇宙で起きていることすべて、つまりこの世のすべてが、自然であるということなのです。
ですので、自然と人間社会、人と自然、などと対比で語る必要がないと考えています。

何か意味があることはない

然すれば、特に、山に行く必要も、海に行く必要もありません。
今ここで、すぐに自然を、宇宙を、感じられれば良いのです。

良いことがあったら、たまたまの偶然と考えれば、心の底から、ラッキーだと喜べます。

嫌なことがあっても、たまたまの偶然なので、意味はありません。

詐欺被害に合っても、会社が倒産しても、異性に振られても、それら自体は、とても自然なことなので、何も意味がありません。

そう、自然なことなので、悩んでも仕方がないのです。
呪われているわけでも、運が悪いわけでもなく、たまたま、そうなったのです。

という考え方をすると

とても人生が楽になるというお話でした。

このような考え方に至ったのは、禅の十牛図を学んだのが、切欠でした。
十牛図とは、禅の修行と悟りの境地を示したものです。
悟りへの修行過程を「逃げだした牛を連れ戻し、飼いならす過程」として、分かり易く十段階に分け、絵を描いて、解説をつけたものです。
ご興味があれば、是非、調べてみてくださいね。

私自身も、いろいろと一般的に見ても、起伏に富んだ人生を歩んできました。
特に職業柄、デザイナーとして、様々なクライアント様の立場から、物事を考えることが当たり前となり、自我を消す必要があったのが大きいです。

そこで、様々なことを考え、本を読み、人と話し、人を育ててきた中で得た知見は、少しずつまた紹介したいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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