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レイコの自分⇔自分 お悩み相談室   1976年12歳「エレクトーンのレッスンがキライ。めんどくさい」


小学生の頃、週に一度、エレクトーンの個人レッスンに通っていました。
自分から習いたいと言った記憶はありません。両親がわたしに何か習い事をさせようと決め、ピアノにするかエレクトーンにするかと言われて、エレクトーンがいい、と答えたような記憶はあります。
多分、エレクトーンの方が鍵盤が軽くて、簡単そうに見えたからです。
しかし、それは全く浅はかな考えで、何かを身につけることが簡単なはずはなく、しかも、わたしには「どうしてもそれをやりたい」という情熱もなかったので、あまり真剣に練習もせず、母親によく小言を言われていました。

 
今のレイコ(以降「レ」):なんでレッスンがイヤなんだっけ?
12歳のレイコ(以降「12」):いつも先生が、なんか怒ってる。
:ああ、そうだね。確かにそれはイヤだね。なんで先生はいつも怒ってるんだろう。
12:わたしが、課題の曲を全然弾けないから。
:だよね。いつもほとんど練習してないもんね。
12:うん。
:なんで練習しないの?
12:なんか、つまんない。めんどくさい。
:そもそも、自分からやりたいって言ったわけじゃないもんね。
12:うん。でも、初めは楽しかったんだ。楽譜も読めるようになって、学校の授業でも役に立ってるし。

:いつ頃からレッスンに行ってたっけ。
12:小学校3年生くらいからかな。
:そしたら、6年生の今は課題曲も難しくなってきてるね。
12:お母さんが、練習しろってうるさいんだ。
:だろうね。ぶっちゃけ、お金かかってるから。エレクトーンもそれなりの値段だったし、買い替えもしたし、月謝だって。子供のうちは実感わかないだろうけど。
12:うん。そういうの、わかんないし。当たり前みたいにエレクトーンが自分の部屋にあるし。ただもう、練習がめんどくさい。
:多分、先生からも親に連絡が入ってるんだろうね。自分なりに曲を弾けるようになってレッスンに来ないから、ちゃんと指導もできないって。
12:えー、イヤだな、それ。最初の頃の先生は優しかったんだけど。今の先生に変わってからは、あんまり教室に行きたくない。
:不機嫌に怒られながらレッスンするんだもんね。でも、うまくなりたいとは思わない?
12:あんまり。
:それじゃあ練習したいとも思わないよねえ。
12:発表会があるから、仕方なく。
:やりたくないなら、「やらない」って言えばいいのに。
12:でも、絶対やりたくないってほどでもなくて。「やらない」って言うのを思いつかないっていうか。
レ:そうかー。あー、そうだったね。

12:発表会は、一人で弾く曲と、二人で弾く曲があって、それなりに練習もしたんだ。
:うん、その二人で弾いた曲、憶えてるよ。The Stylisticsの大ヒット曲。今聴いても色褪せた感じがしない名曲だね。
12:そういうの、全然知らないし。
:その曲をどんな人たちが歌ってるのかとか、歌詞の内容とか、どんなに有名な曲なのかも全然興味もなかったし、調べたりもしなかった。
12:そんなの、他の曲でもやったことないよ。
:で、本番でやらかしたよね。
12:うん。テンポがなんか、どんどん速くなっちゃって。
:なんでだっけ?
12:もう、とにかく早く終わらせたかったから。一緒に弾いてる子が、「走ってる」って、わたしのこと見てるのもわかったんだけど。無理だった。止められなかった。
いい演奏をしようなんて一ミリも考えてなかったもんね。ただ、少しでも早くあの場所から抜け出したかっただけで。周りの人のことを考える余裕なんてなかったね。考えてたのは自分のことだけ。
12:ダメなことしてる、っていうのはわかってたんだよ。でも、なんでこんなことになっちゃったのか、わかんないよ。
:それはー、そもそも、エレクトーンがべつに好きでも何でもなかったからだよね。


【やりたくないことを「やりたくない」と言えなかった】


「主体性」という概念もなかった小学生の頃。
わたしは目上の人の言うことをよくきく、いわゆる「いい子」でした。
「好きじゃない」「やりたくない」と言えなかったのは、「親に勧められているものをイヤだと言ってはいけない」と、無意識に思っていたようにも感じられます。本音を抑えるというよりは、自分の本心に自覚がなかった、という方が近いと思います。誰かの言う通りにしてる方がラクだったので。
でもやっぱりやる気はなくて、練習しない、という消極的な主張を無自覚にしてしまう状態。
練習をしなければ上達もしないし、お金と通う時間をかけている甲斐もありません。
教えてくれていた先生も、発表会で生徒に最低の演奏をされて恥ずかしく、腹立たしかっただろうし、一緒に弾いていた子も練習してきたことが台無しになり、気持ちを乱されただろうと思います。ちゃんと弾けなかった曲のことは憶えていても、その子の名前は当時から記憶にありません。
周りの人の思いも考えず、自覚なく人の時間と労力を奪っておいて、そのことの重さも、当時の自分は全く感じていませんでした。目に見えるものを勝手に奪うのも酷いけれど、目に見えないものを奪うのはさらに酷いと思います。しかも、それを無自覚にやる、ということはもっともっと酷い。
 
本当はやりたくないことを、進んでやることは難しいです。大人になってからも、そんなことは普通に降りかかってくるので、そういうこととどう向き合うかは自分で決めるしかありません。
やりたくないことはやらず、やりたいことだけをやるという生き方もあります。その選択によって、周りへの影響や自分自身にもたらされるものも変わります。
自分で決めたことには、もれなく責任がついてきます。
何かをやると決めた時も。やらないと決めた時も。
 
まずは、「本当はどうしたいのか」を自分の中でハッキリさせることが大切です。
そして、それを周りに伝わりやすいように表現する必要があります。
それは、周りのためでもありますが、何より自分自身のためでもあります。
12歳のわたしは、自分の本音をねじれたかたちでしか表現できていませんでした。
エレクトーンの練習をしない。
発表会で最低の演奏をする。
「もうやめたいんだ、いやなんだ、なんでこんなことをやらなきゃならないんだ」って思い切り本音がダダ洩れだったのですから、自分の本心をちゃんと感じて、そこから逃げてはいけない、ってことです。  

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