見出し画像

レイコの自分⇔自分 お悩み相談室   1976年12歳「林間学校が本当は楽しくありませんでした」  

大人の言うことをよく聞く、いわゆる「いい子」だったためか、小学生の頃から学級委員や班長など何かしらのリーダーを任されることが多くありました。
でも、「いい子」でいるということは、なかなか本音を語れず、何かしら我慢が必要だったりします。
 
 
今のレイコ(以降「レ」):学級委員とか、生徒会長候補とか、なぜかやってたよね。生徒会長にはなれなかったけど。
12歳のレイコ(以降「12」):うん。林間学校の時は班長だった。自分からやる、って手は挙げてないんだけど。
:行ったのは日光だったね。班分けは、いつもの仲良しグループで、女子は3つの班。で、なんとなくわたしが班長を任されて。他の班は、勉強できる子が班長になってたね。
12:うん。
:林間学校が終わってから、国語の授業で作文を書いたんだよね。
どんなことを書いたっけ?
12:わたしは、滝がきれいだった、って書いたんだ。竜頭の滝とか、華厳の滝とかを見に行って、滝のかたちがみんな違ってたから。
でも、他の班の班長の子が、全然違うことを書いてた。
:先生が、学級会でその子の作文を読んだんだね。書いた子の名前は出さずにね。
12:そう。班長が大変だった、って。
その書いた子自身は、自分が大変だったとは書いてなかったと思うんだけど、もう一つ別の班の班長の子が、泊まった日の次の朝、布団の枚数が合わなくて、パジャマを着替えもしないで布団を畳み直しながら数えてた、って。
:名前は出さなくても、書いた子は絞られるね。
12:それ、わたしも見てて、知ってたんだ。
:布団の畳み方、決められてたのにバラバラだったんだよね。だから、班長の子たちだけが畳み直しながら数を数えてた。
12:わたしは、自分が班長だから、すぐ次のことがやれるようにしなくちゃ、って思って急いで着替えてた。だから、数え直ししている中に後からは入れなくて、見てるだけしかできなかった。
 
:帰りの電車でも、先生から「ゴミを散らかしたり、置いていったりしないように」って言われて、わたしも電車の中でゴミ拾いしたね。でも、他のみんなは、寝てたりマンガ読んでたりしてた。
12:うん。
:「一緒にやって」とは言わなかったね。
12言えなかった。
:作文にも、班長が大変だったことは敢えて書かなかった。どうしてかな。
12:やりたくないようなことを頼めないし、文句を言って、友達に嫌われたくなかった。
:作文に本当のことを書いた子は、なんでそれを書いたと思う?
12:…わからない。
なんか、その子が書いたことを聞いて、自分はダメなんだな、って思った。わたしも着替えるより前に布団を数えた方がよかったのかな、って。
:作文が読まれた学級会の後、仲良しグループの子がみんな「ごめんね」って謝ってきたね。
12:うん。
:で、「ううん、大丈夫だよ」みたいなことを言った。
12:うん。
:本当は悲しかったっていうか、怒りってほどではないけど、がっかりしてたよね。
12今さら謝られても、って思った。
:みんなも悪気はなかったはずなんだけどね。
 
:班長とか、リーダーって、何だと思う?
12:班長って結局、責任を持たされるだけで、辛いことばっかりかも。
:リーダーはいろんなこと考えたり、やったりしなきゃいけないからね。でも、少なくとも辛いだけじゃないと思うよ。
12:うーん。
いつも、何かの長になりたい、やりたいって思ってないのに、誰かに言われると、やるしかないかなって思っちゃうんだけど。
:そうかー。それだと人に言われてやってるから、自分がこうしたい、っていう動機がないよね。
12:言われた通りにして、自分がガマンすればいいんだって思ってる。本当の気持ちを言って嫌われるくらいなら、ガマンする方がいいから。
:まあ、それも、現実対処のひとつではあるよね。
全部本当のことを言っても、それで何もかも解決するとは限らないし。本当のことを言ったら、かえってダメになることもあるし。
嫌われたくないっていう目的に対して、本当のことを言わない、っていう手段は間違いではないかもしれない。
だけどね、それは自分の気持ちを粗末にすることにもつながってるんだよ。
12:誰かがイヤな気持ちにならないように、自分がガマンするのはダメなの?
:それも大事な気持ちだね。優しさのひとつだと思う。
でも、今回の場合は、「これは間違っていたんじゃないか」っていうことを勇気を出して書いた子の行動も、優しさのひとつだと思うよ。気づいていなかったことを、気づけるようにしたってことだから。先生も、これは放っておけないって感じたから、発表したんじゃないかな。
12:やっぱり、わたしってダメだね。
:辛かったことを敢えて言わないって判断したことは、その時の自分の最善だったんだから、必要以上に自分を責めることはないよ。
12:うん。
:ただ、自分が言ったことで相手がどんな気持ちになるかは、言った側が決めることじゃないんだ。人がどう感じるかなんてコントロールしきれないから。
だから、「これを言ったら嫌われる」って考え過ぎない方がいいよ。
これからいろいろな経験をしていく中で、自分の本当の気持ちを見つめながら、それをどうやって人に伝えるのか、敢えて伝えないのかを自分の意思で、少しずつ考えていけるようになればいいと思うよ。
 


【言えなかった本当の気持ちの行方】


人に嫌われるのが怖くて、イヤなことはなかったことにしたかったのです。
なんだかな、と感じてたことも、誰にも何も言わずに自分の中だけで終わりにしようとしていました。そうすれば、波風は立たず、きっと誰にも嫌われることはない、と思っていたのだろうと思います。
でも、他の班長の人が書いた作文で、なかったことにしようとしていたことが表に出されてしまい、みんなにも謝られてしまい。
さらに、謝ってもらってもスッキリした気持ちにはなれず。
 
班長も人に言われてやっているので、「こういうことを求められているんじゃないか」という行動しかできません。そこに自分の意思や、本当の気持ちは入っていかないのです。
作文に林間学校で起きたことをちゃんと書いた人は、きっと班長になった人だけが大変な思いをしたことをおかしいと感じて、それを伝えたかったんだと思います。
それは勇気がいることです。本当のことを言うということは、往々にして嫌われるリスクがあるからです。
当時のわたしにはそれができませんでした。今も、決して得意な方ではありません。
でも、自分の行動や言動で嫌われることを恐れているということは、周囲の人を信じておらず、自分のことも信じていないということです。
自分の意思で決めて納得してやっていたことなら、間違っていたことに気づいて謝ってくれた人に対して言った、「大丈夫だよ」の意味も変わっていたはずですし、班長の人にも「布団を一緒に数えられなくてごめんなさい」と言えたはずです。
 
その人の本心の投げかけは、こうして数十年経った今でも自分の中で生きています。
自分が行動を起こすことができなかったことを、なかったことにしないことは大事。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?