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一歩

 私の好きな物語の一つ、ミヒャエル・エンデの『モモ』の中に、ペッポという人が出てきます。モモの親友で、道路掃除が仕事です。その掃除のやり方が印象深いのです。  ペッポは、割り当てられた通りをゆっくりとていねいに掃いて行きます。一歩進んでは息を深く吸って一掃きし、また一歩進んでは息を吸って一掃きします。そして、たびたび短い休憩をとり、何か考える様子で遠くの方を見ます。  ある時ペッポは、モモに話します。 「長い長い通りを前にしている時、それがとほうもなく長く感じられて、とても最

    • 日々の必要

       森鷗外は、『妄想』という作品の中で、「どのようにして自分を知ることができるか」というゲーテの言葉を取り上げています。それは「日の要求を義務として、それを果して行く」ことだというのです。  日々、何が自分やまわりの人たちにとって必要なことか考えながら、一つ一つの生活の経験を積み重ねて行くことが、自分やまわりの人や世界を理解し、どのようにして生きて行ったら良いか知る道だということでしょうか? たしかに、たくさんの本を読み、いろいろな人の話を聴いて学ぶことは、視野を広げ、思索を深

      • 晴れの日も、曇りの日も、雨の日も

         こんな絵本があります。元の題名は、「年取った豚」( OLD PIG)というのですが、翻訳では「ぶたばあちゃん」になっています。  ぶたのおばあさんが孫娘といっしょに暮らしていました。ある朝、おばあさんはベッドから離れることができなくて、ごはんを食べずに、そのまま眠り続けます。昼ごはんの時も、夕ごはんの時にも、起きてきませんでした。  翌朝おばあさんは、ほんのわずかでしたが、おかゆとお茶を口にしてから、図書館に行って、借りた本を返し、次のはもう借りませんでした。銀行に寄り、預

        • 「生きる」ということ

           こどもの時から、「生きる」とはどういうことか、考えてきました。まだ結論が出たわけではありませんが、今こんなふうに思っています。  「何でもない一日も、特別な一日も、ひと時ひと時を大切にして過ごす こと」。  きっと、なんだそんなことか、あたりまえじゃないか、とお思いのことでしょう。でも、長い間、本や人の話や経験から学んできて、今しみじみと感じているのは、改めて言う必要もないような、こんな単純なことなのです。

          海辺の小石のように

          海辺に流れ着いた、たくさんの小石の中に、ちょっと面白い色や形のものを見つけて手に取ってみるように、日々の暮らしの中で気がついたことを、少しずつ書きつづってみたいと思います。私が感じたこと、考えたことの中に、お読みくださる方々が、「本当にそうだね」と共感していただけることがあったら、幸せです。

          海辺の小石のように