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自分の人生経験の少なさに絶望した話

 人生の中には「決まった枠」があり、その中で生きていられるうちは苦労しないが、そこから外れてしまったとたんに途方に暮れることになる――。
 昔『世にも奇妙な物語』という番組で、草彅剛さんが出ていた「13番目の客」という話があった。数ある奇妙な話の中でも特に印象深かったのでうっすらとだが覚えている。確か奇妙な理髪店で働くことを強いられた男が、いつしか周囲に溶け込んだものの、やがて強制的にそこを追い出され、嘆き悲しむ姿がラストシーンだったように思う。
 そう、決まった枠の中は心地がいいのだ。なんせ全部思ったとおりに事が進む。明確にルールがあり、人間関係も限定的で、だから余計なことを考える必要がない。そして抜け出たあとになって思うのだ、その中で生きることがどれほど幸せだったのかを。
 とはいっても人生、強制的に枠から抜け出さないといけないことがよくある。学校もそうだし、社会人だって退職や定年がある。
 自分の場合は退職だ。自分で決めたことなのでその判断については後悔してはいないが、辞める前後のいろいろな手続きについては今のところ不安しかない。
 失業手当ってどうやってもらうんだ?保険証の切り替えを申請したらどのくらいで新しいのが届くんだ?確定申告って面倒臭そうだけど、どうやるんだ?
 その他もろもろの手続きへの心配で、身軽になったはずの心にどこか重りがついているような感じだ。自由には責任が伴うなんてことは分かっているが、心構え云々の前にどう動いたらいいのかすら分からないのが困る。とりあえず本でも読んで学んでみようかと思う。

 しかしまあ、何もできてない人生だなとしみじみ思ってしまう。働いてそこそこの収入を得られてはいたが、会社で仕事をする以外の公的な手続きや世の中の仕組みというのを全く理解できていない。これで本当に大人と呼べるのか。
 でもこれ、もっと恐ろしいのは、もし定年の60代まで同じ仕事を続けていたとして、きっと自分は独身を通しただろうから、やっぱり今のように世間のことを何も知らない状態で放り出されていたかもしれないということだ。今の私は40代だからまだマシだと思う。60代で仕事以外何も知らない分からない独身男が世の中にポーンと放り出されたら……きっと私も泣き叫んだだろう、「13番目の客」のように。
 そう考えると今それに気付けたのは良かったのかもしれない。だけどもやっぱり手続きが億劫だ。とりあえず市役所とハロワを地図アプリでブクマしておこう。ああ面倒だ。まあ新しいものを学べる機会だと思って受け入れるしかないか。人生死ぬまで勉強だな。

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