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読書感想ノート①「蜜蜂と遠雷」 

映画を見て、気にはなっていたのだが、なかなか中古がやすくならなかったので、今になる。
恩田陸は好きな小説家なので、何冊か読んでいるが、この方のテーマは幅広く、音楽に焦点を当てたものは、初めて読んだ気がする。
この方の小説は、いつも、遠くに萩尾望都を感じる。
同じ匂いのする、世界観がある、と私は思う。
さて、この小説を、映画との違いで、考えてみたい。
主要登場人物は4人

栄伝亜夜
幼い頃からすでに天才子供ピアニストとして活躍していたが、ピアノの師でもある母の死で、演奏活動から逃げ出した過去を持つ。
映画では、なんだか不安定で、いつも黒い馬が雨の中走っている、怪しい画像が流れる。暗く、トラウマ的な何かを感じさせて、危なっかしい雰囲気。
小説では、この雨の馬と言うのは、亜夜が小さいときに雨の音を聞いて連想した、馬が走っているようなリズム感のことだとわかる。この雨の馬は、けっして暗いものではなく、亜夜の音感に対する天才性を示すエピソードである。そして、亜夜自身、本当の天才なので、ある意味少しのほほんとしている部分がある。映画との違いは歴然だった。

マサル・カザルス・レヴィ・アナトール
この人は、一番無難な天才で、映画も小説のも、あまり差は感じられなかったような気がする。基本、気質が安定している。
が、映画の中で語った、これからやりたいことが唐突すぎて、あまり感情移入もできず、凄さもわからないけれど、小説の中では、きちんと説明されている。

風間塵
養蜂家の家に育つ。音楽家の中で大きな影響力を持つユウジ・フォン=ホフマンに師事しているが、音楽教育も受けておらず、ピアノすら持っていないというファンタジーな16歳。
映画では、なんか、天才なんだなあきっと。天然の天才。というくらいか。彼が、なんの「ギフト」なのか、どう「災厄」なのかよくわからず。
小説では、彼が多大な影響を与えていく「ギフト」の意味がわかる。
そして、彼の本当の使命も。小説のほうが何倍も魅力的だ。

高島明石
生活者の音楽を披露したいと、年齢的に最期のコンクールに出場。この人が、宮沢賢治を表現するのは納得感がある。労働と芸術だ。両立させることは可能だと証明したい。
映画では、他の3人との関わりを持たせるため、原作にない場面、エピソードで動かされる。まあ、仕方ないといえば仕方ないか、ここはしょうがないと目をつぶることにしよう。
小説では、生活者の音楽はアマチュアの域を出ないことに諦めを感じていた彼が、本当の音楽家になる。
本当の音楽家とはなにか。
それは凡人の私が永遠に到達できない者。
音楽の至高の高みを経験した者のみがたどり着く。
地獄と天国が混沌と混ざり合う場所に居続けようと願う者だ。

映画の良さは、音楽が聞けること。でも、小説の内容からは微妙にずれてしまった。

小説の中で演奏された、音を聞きたい。
風間塵の演奏で、私も「ギフト」をもらいたい。
小説と映画は別物である。

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