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9:レビー小体型認知症例2

 ふと、石台さんは、家族会の後どうしているだろうと気になり、映子は電話をしてみることにした。レビー小体型認知症の先達である。何か参考になることが聞けるのではないだろうか。電話で、一週間後の十時に、石台さんの家に伺うことになった。大吉は、デイサービスの日なので、気軽に出かけられる。
 石台家は、映子の家より標高の高い別荘地にあった。インターホンのところには、「介護中です。静かにノックしてください」という札が下げてある。階段の上には、車椅子やベッドの移動のための、スロープに使う板がよせかけてある。玄関からすでに介護の家という、一種独特な雰囲気があった。
「こんにちは。」
「よくいらしたわ。片付いていませんけど、どうぞお入りになって」
 洋風の別荘らしい部屋の中は、午前中の日差しが燦々と入るリビングダイニングになっていた。本や書類、ノートやファイルが雑然と積み上がっているのは、介護書類や調べ物など必要なものを手に取りやすい場所に集めた結果だろう。映子の机周りもこれに近い。介護関係の書類は、何でもかんでもまず契約書、その他いろいろ捨てられない紙類が増えてしまうように制度が出来上がっている。
「今日は、主人が入院しているの、誰もいないからゆっくりお話できるわ。」
そう言いながら、入れてくれたコーヒーは、ものすごく甘く濃いので、普段砂糖を入れないコーヒーを飲んでいる映子には、ちょっとつらい飲み物になっていた。
 ご主人の介護8年、施設に入所を決めたのは、ご自分が体を壊して入院する事態になったからだった。
「病室に、主人も一緒に寝られるようにお願いしたのよ。一人で家に居ることは出来ないもの。主人も、他の人に見てもらうより、私といたほうが良いっていうので」
それじゃ、病気療養としては休まらないじゃないかと思うのだが、石台夫婦は、とても仲が良かったのかもしれないと思い直す。映子のように、離婚しそびれた関係とは違うようだ。
「私は、主人の幻視を否定したことはないの、ほら、窓から山が見えるでしょう?あのてっぺんにスキーをしている人がいるって言うのよ。冬でもないし、人がいたって、ここから確認できるわけがない。でも、じゃあ、外に出て、少し散歩して見てみましょうといって、散歩に連れ出すの。そんな風にね。ゆっくり散歩して帰ってくるのよ。」
 石台さんのご主人は、3ヶ月前に介護施設に入り、奥さんは定期的にお見舞いに行っていたそうだ。ほとんど寝たきり状態だったそうだが、幻視があるので、夜なにか怖いものを見て暴れ、ベッドから落ち、大腿骨折してしまった。入院している間に、ますます症状は進んだのか、退院して家に帰ってきたときには、それまでとは別人になってしまったそうだ。
「退院しても、あの介護施設に戻す事はできない。ベッドから落ちたのは、これで4回目だったのに、なにか対策をとってくれたのか聞いたけれど。ベッドの下にマットを敷いたとか言って、骨折するようじゃ対策にはならないでしょう。」
と悔しそうに話す。
 ベッドから、蛇が見えたのではないかと石台さんは、言う。寝たきりになり、言葉もうまく発せない状況で、蛇が見えて、怖いとなったら、力の限り暴れるのではないか。
「ずっと病院にいさせることは出来ないし、他の特養に空きはないし、2週間入院して、家に帰って、また病院に2週間入院を繰り返しているところよ。病院は、近くの病院が引き受けてくれなくて、遠くの病院からお迎えに来てくれて、また、連れて行ってくれる。たすかるけれど、経費が大変で。それでも、あの病院が引き受けてくれなかったら、もう、どうしたらいいかわからなかったわ。」

その介護施設のその夜の担当は、アルバイトが一人でいたらしく、ベッドから落ちて痛がっているご主人を床にそのままに、朝になってやっと救急車を呼んだという。朝になってやってきた介護担当者は、ご主人に
「痛い痛いって言うんじゃないの。あなたが落ちたからこうなったんでしょう」
といたわる気配もない。知らせを受けて飛んできた石台さんは、その様子を見てショックだったと言った。ご主人が入院中に、その施設との介護環境についての話し合いをし、病院の手配をし、何もかも一人でやらなければならなかった。
「施設の側からは、4人も来ていて、こちら側は私一人。地域支援課にも連絡したけれど、誰も付き添ってもくれなかった。施設に入所するとね、ケアマネさんもいなくなるのよ。
こんな事故が起こっても、手助けしてくれる人は誰もいないのよ」

施設側は事故を、公にしたくない。自分たちの否は認めたくない。そうでなくても、介護する側の人数が足りないのだろう。特に夜間は、どの施設でも人数は少ないらしい。その施設だけが、特別に悪いというわけでもないのだろう。しかし、たしかに、妄想幻視がある人のケアは、想像を超える時がある。その時は、聞けなかったが、睡眠導入剤などは使っていたのだろうか?
 映子は、大変を通り越して、怖くなった。これから、最後までレビー小体型認知症と付きあうと、パーキンソン症状が出て動けなくなるか、転ぶかなにかして骨折し寝たきりになるか、どちらかの未来がやって来る可能性はある。施設に入り最後まで看取って貰えればいいが、それには、結構な金額がかかるのだ。
「私達は、夫婦二人の年金生活で、施設に月15万も払っていたのだけれど、同じ施設に、4万で入っていた人がいてね。その人の年金は4万だけれど、大きなお家と農地もあって、家族もいるお家で、暮らしていくのに苦労はなかったようよ。私達には、年金しか無いからすごく大変なのに。だから、家を売りに出したのだけれど」

 特養の入所基準は、本人の年金額と収入により、段階があるのだ。同じ施設でも、収入の多い人は、高い利用料を払い、少ない人はそれなりになる。しかし、その年金で、夫婦ふたりで暮らしているのと、大家族の土地持ちでは、生活環境が違いすぎる、4万の年金で一人暮らしで生きていけるわけがない。家族が居てこその生存環境だ。残念ながら、この制度は、そういったことは一切考慮されない。
 それは映子も抱えている悩みだった。もちろん、大吉の年金をすべて本人だけで使うのであれば、施設にも入れる。しかし、そうしたら、映子の生活費も、税金も保険も全て払えなくなるような年金生活であった。
 在宅で、どこまで介護生活を続けていかれるのか。もうだめだとなったら、二人で心中でもするしか無いのかもしれないと、時々考える。たとえ貯金があったとしても、長生きしてしまえば、貯蓄は尽き、払いきれない状況になるかもしれない。そうなったら、寝たきりの老人が路上に放り出されることになるのだろうか?

「家が売れてしまったら、でも引越し先は?」
「売りに出したことを忘れていて。いろいろ大変なことがあったでしょう。不動産屋から電話で、見学に来たいと言われてびっくりしたわ。何人か見に来たのよ。コロナで、こちらの方にお家を探している人が結構いるらしいの。東京にも近いのでね」
結局、家を売るのは止めたのだそうだ。これからは息子さんが、力を貸してくれる事になったのだそうだ。それなら、なんとか見通しは立ったと見て良いのだろう。
 石台さんが、入れてくれた緑茶は、これもまたものすごく濃かった。大吉は嗅覚が効かないが、石台さんは、味覚が麻痺しているのかもしれない。
介護疲れは、積もりに積もる。映子も同様だった。

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