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うつ病・双極性障害の記録①|発症〜診断〜休職まで



こんにちは、ウチキノです。

今回は私が実際に経験した、うつの発症から休職までの流れについて記載します。
とは言っても当時の自分を客観視できる自信はないので、あまり真剣には捉えないでいただけますと幸いです。
私の経験はあくまで一例にすぎませんので、気楽に見てもらえたらと思います。





◎前職について

まずは当時の就業環境について。
私が在籍していた支店は比較的家から近かったです。車で30分かからないくらい。転勤はあっても市内で、そこは特に心配していませんでした。
また、土日祝が休みで、残業も普段は30分〜1時間程度。繁忙期でも21時過ぎには帰宅できるくらいです。

ボーナスもなんやかんやもらえたし、福利厚生は充実した会社でした。(就活時の決め手でした。)
一方で、私が当時「なんだかなあ…」と思っていたのは以下の通りです。

・人間関係
-上司が何もしない。変な客にずっとつきまとわれていることを相談しても「お客様だから我慢して」、クレーマーから上司を出すよう怒鳴られていても知らないフリ。私用電話、私用外出などを人事に相談してもスルー。
飲み会の次の日の朝に家まで迎えに来い、みたいなこともあったなあ。
-先輩社員と派遣社員の板挟み。中立を保っていたけど心労が酷かった。

・業務量
-何故か意地でも業務分担をしない。仕事を共有しても覚えようとしてくれないので、休憩中に電話がかかってくるし、有給がとれない。やる気がないのはそちらなのに、「教えてくれないから…」と言い訳をされる。
最終的に昼休憩がとれなくなってしまい、無理やり郵便局や買い出しの予定を入れて、その行き帰りの車でプロテインバーをかじっていました。(パシリはさせてくれるんかい。)

・ノルマ
-内勤なのに、外回りしている営業と同じノルマ。自縛が当たり前で、基本的にボーナスでノルマをどうにかするものだった。

・トップのおじい
-個人的にトップのおじいがめちゃくちゃ嫌いだった。ボーナスが出たら直接お礼を言いにいかないといけない、女性社員はバレンタインにチョコを用意しなければいけない。出張のあとはお気に入りの女性社員を呼び出して土産を配り、男性社員には八つ当たりみたいに怒鳴る。本当に何?

大体こんな感じです。
いい人もぼちぼちいたのですが、そういう人ほど辞めていくような会社でした。



◎発症

そんな環境下で数年は勤めたのですが、1年間かけて自分の仕事を引き継いだ後輩が退職すると聞いた時に、かなりショックを受けてしまいました。
今思えば大したことではないのですが、「業務分担をしてくれる人ができる」ということに期待をしすぎてしまったのだと思います。
決して彼女が悪いのではありません。
それ以外にも要因は色々とあって、例えば、所属部署での社員が自分だけになるかもしれないだとか、異動の話が出ている先輩が面倒くさがって仕事の引き継ぎをしてくれないとか、そんなところでした。

正直、いつから調子がおかしくなってしまったのか、正確なきっかけは分かりません。

慢性胃炎で常に胃痛に悩むようになり、少しずつ食事が喉を通らなくなり、帰宅後に玄関で潰れるようになり、ぼんやりして会話の返答があやふやになり、出勤すると発熱するようになり……
気付けば、休日に起き上がることが出来ず、横になっているようになっていました。わけも分からず泣いているだけ。

そんな状態がしばらく続き、ついに仕事に行けなくなりました。
当時のことは忘れません。酷いめまい、頭痛、動悸、発汗、発熱。風邪かと思い市販の薬を飲んでも治らず、いつになっても治らない。
体調不良で休む連絡をした時の、迷惑そうな上司の声は忘れられません。体調管理してくださいね、じゃないんだよな。

この時自分としては、メンタル不調という認識ではありませんでした。
長引いている風邪、という感じ。

さすがに病院行こうかな〜と思ったら、見かねた両親が連れて行ってくれました。

精神科に。



◎診断

正直、かなり抵抗がありました。
精神科、初めてだとハードル高いですよね。
とはいえ当時は両親の判断に異議を呈する気にもならなかったので、されるがまま向かいました。

まずは受付の方に問診票を渡され、記入。
その後は母親が同席して、ソーシャルワーカーさんと1時間弱話をした記憶があります。
話した内容は、主に当時の会社のこと。毎日どんな風に過ごしているか。家庭環境はどうか。学歴や、家族に精神を病んだことがある人はいるか、といったことまで、かなり細かく話をしました。
母親にも、私がどんな子供だったかなどを聞いていました。

ちなみに、私は誰にでも話しかける明るい子供だったそうです。小中学校までは担任の先生からムードメーカーと言われていたとか。もしかして良い奴?

そして何より、曾祖母が自死、父親がうつ病、母親が発達障害、弟が強迫性障害、というなかなかの血筋。
(両親と弟は寛解しています。)

ソーシャルワーカーさんとの面談が終わると、先生の診察が始まりました。
面談の内容が既に共有されていたため、先生はそれを見ながら質問をして確認する形でした。
余談ですが、大変な経験の話をすると涙出ちゃいますよね。この時点で確か号泣しています。

ひと通り話したところで、先生がぽつりと言いました。

「お話を聞く限り、うつ病の診断になるかなと思います。診断を出しても大丈夫ですか?」

なんだその質問…?と思いながら頷くと、話がどんどん進んでいきました。

「ちょっと休む期間が必要だと思いますが、診断書を書いても大丈夫ですか?2週間くらいゆっくりして、様子をみませんか?」

え?ちょっと待って?
「私うつ病です!」って宣言して長々と休むの?
恥ずかしすぎるし、仕事引き継いでないし、休むにしても職場行って謝って……
かなり動揺しました。
どう返事をしたか思い出せませんが、先生と両親に説得されて提案を受けることにしました。
(有給5日取りきってなかったこともあり…)

先生が何度も言っていたのが、「自分を責めないでください」という言葉でした。
それだけ当時の私は自責が強かったのでしょう。
面白かったのが、私が頑固すぎて最終的に「何かあったら僕のせいにしていいので」と言われたことです。どういうこと?



◎休職

病院で休職の打診をごねた時に、私は「上司に診断書を渡して話をするなんて無理」と言いました。
態度だけは大きい父親にその役割を託したため、私自身は職場と休職に入る話はしていません。(問題児ですみません。)
父親が無事に話をつけてくれ、私は急に2週間の休みに突入しました。

いいなと思うでしょう、長い休み。
それが全然よくないんですよ。最悪。

まずは、自分がうつ病ということが受け入れられない。
意外とここがネックなんです。私は、父親がうつになった時に「自分だけは絶対にならない」と威張っていたので、余計にショックでした。

そして、職場のことが気がかりで仕方ない。
同僚には病名が伏せられていたためか、普通に何度か連絡がきました。どうしても復職した時のことを考えてしまい、自分が不在の間のことが気になって仕方ありませんでした。周りからは「とりあえず忘れよう」と言われますが、無理なんですよね。

あとは、父親のことです。
色々世話になっているのは承知で、本当に苦手でした。うつ病の只中にいる方は分かるかと思うのですが、酷い時だと信じられないくらい無気力なんですよね。ゼロどころかマイナスなくらい。
それを「今までと真逆のことをすれば治る」「吐くほど運動すれば治る」と本気で強制してくるような父親です。お察しください。

これらに加えて、前述の体調不良が普通に続いています。
怠くて怠くて、起き上がれたものじゃありません。
これ、面白いのが、出勤していた時の時間にあわせて不調が出るんですよね。朝に1番酷く、夜になるとマシなんです。

こんな体調ですから、父親との関係も悪化します。
毎日あることないこと言われ、無理やり連れ出され、体調不良に疲労が加算されていく。
今となっては話半分で会話ができるのですが、当時は全て本気で受け止めて、全力でショックを受けていました。自己肯定感は底辺です。

こんな環境で休めるわけもなく。
2週間後の診察で、休職を1ヶ月延長されました。
そして、父親と距離を置くように提案を受けます。

こうして私は祖母の家での生活を始めました。
祖母の家は実家の近所ですが、母方のため、父親は滅多に来ることがありませんでした。
住人は、祖母と叔母の2人。
祖母はいい意味で放っておいてくれるタイプで、食事と睡眠に対しては厳しかったですが、それ以外の時間は横になっていてもそっとしておいてくれました。
叔母は仕事柄うつの症状に明るく、色々とアドバイスはくれますが、無理強いはしませんでした。昔から過干渉な人でしたが、さすがに当時は節度をもってくれていたように思います。

最初の2週間に比べると、かなり環境が良くなりました。
しかし、結果から言うと、復職するまでにはかなりの長い時間がかかりました。

休職期間のことはまた改めて書きますので今回はここまで。



◎心の病に悩む方へ

この記事を読んでくださっているということは、何かしら悩んでいるのかなと思います。

私も当時は不安で色々調べて、色々な情報に惑わされていました。
皆さんがどんな段階かは分かりかねますが、誰にでも言えることは1つです。

焦らないでください。

例えば、診断されたばかりの初期段階の方。最初ほど不安も焦りもあると思います。でもそんな心の状態ですと、ちゃんと休めていることにはなりません。
休職が長引いている方も同じです。「いつ治るんだろう」「本当に治るのかな」と焦りでいっぱいだと思います。でも、焦りがあると心は疲弊してしまいます。根拠がなくて申し訳ありませんが、焦りがあるということは、前に進もうとする気力があるということ。不安に思わなくても、きっと大丈夫です。

私自身、まだ治ったわけではないですが、普通の人と同じような生活ができるまでにはなりました。
色々調べていると、復職や寛解までの期間が書いてあったりして焦りますよね。あんなの個人差ありますし平均値ですから、真に受けなくて大丈夫です。

ちなみに私は、復職までに1年半以上かかっています。さらに、復職後半年ほどでまた仕事に行けなくなり、そのまま退職。その後およそ半年間で転職活動をしながら治療し、ようやく就職。
現在は初診からは3年弱経っていますが、未だに通院中です。
私自身、あとどのくらいで寛解するのかは未知です。まだ全然調子悪いことあるし。

もう本当に、長い戦いすぎてうんざりしちゃいますよね。

でもしっかり自分と向き合って、うまく付き合うことで辛さは回避できるようになるものです。

これは私の経験に基づく提案なのですが、
今お休み中の方、メンタル不調に悩んでいる方は、自分の取り扱い説明書を作るつもりで、よく内面を見つめてみてください。
(もちろん調子が良い時に。悪い時にやると終わりになります。)

例えば、
・これくらいの人混みに○分くらいいると気分が悪くなる→電車に乗る時は頓服を持っておく
・外出して○時間くらいで頭が痛くなる→予め同行者に伝えて時間調整する
・失敗で頭がいっぱいになると引きずる→人と話すと頭がリセットされるから誰かと会話する
・低気圧でマイナス思考が加速する→気圧チェックして、予め漢方を飲んでおく



みたいな感じ。

自分が大変になった時の対処法みたいなものを見つけておくのって、意外と今後のためになるんです。
とはいえ、うつの只中にいる方は、自分が大変な時の状況と向き合うことは大変なはずです。
なので、自分がリラックスできることとか、自分が調子いい時はこれやってるな〜とか、そういうプラスの面から見つけて、不調になった時にできることを試すのがいいかもしれません。

私は実際に休職期間でこれを実践したのですが、今めちゃくちゃ助かっています。
やっぱり仕事をしていると、日常的なストレスがかなり多いです。そんな時に、「自分は大変だった時にどうやって気持ちを切り替えていたかな」と考えます。
もちろん例外はありますが、その時はまた対処法を探します。
自分の性質を知ることで、なんとなくうまくいくことは多いような気がします。

しつこいようですが、この作業は調子が良いときに行ってくださいね。大変だと思ったらすぐにやめちゃってください。
「やらなきゃいけないこと」じゃなくて、「もしもできたら、ちょっとだけお得になるかもしれないこと」です。

体調が良くて、他にやりたいこともなくて、気が向いたらでいいんです。(レア)

よければ試してみてくださいね。



ここまでお読みいただきありがとうございました。

うつに苦しんだ数年間を無駄にしたくないという自己満足、ついでにそれが誰かの助けになればいいなと思い記事を執筆しています。
投稿は不定期になりますが、休職期間、復職、退職、転職、現在の治療のことまでまとめたいと考えております。
続けられるかしら。

※タイトルにある通り、治療の過程で診断がうつ病から双極性障害に変わります。


ともかく、皆さん一緒に日々を生きていきましょう。



それではまた〜




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