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社会が子どもたちを育む

無視されても見守りは意味がある

児童委員研修でポリヴェーガル理論というのを学んだ。
トラウマや愛着形成が困難だった子に対し、ヒトの身体の迷走神経を育むことで、子どもたちの安心安全の基地づくりをするという考え方。

私たち民生委員・児童委員によくあることだが、話しかけて無視される。それでもよい。私たちが見守るだけでも当の本人は「あのおばちゃん、そういえば見守ってくれてた」というわずかな記憶が残る。
それは本人の迷走神経に働いて良いらしい。

私は2年間、PTAあいさつ運動を続けた。そして今年は分団登校の見守りを毎日続けた。これでよかったのかなあ…

虐待やヤングケアラーを親のせいにしなくてよい

 児童の諸問題は全て家庭が悪いとみなされがちだ。誰かに責任を持たせることで筋道を通したい理論だ。
 だが、保護者のせいにするのは少し勝手だと私は思っている。なぜならまず、そういう保護者も小さい頃つらい思いをしているケースが多いからだ。実はいちばん辛いのはこの親で、その親である祖父母たちが幼い頃厳しい教育を受けたという理由で同じように育てているから。ここまでくると「時代のせい」になってしまう。

 保護者のせいにしたくない理由の二つめとして、子ども自身が自分を「ヤングケアラー」「虐待を受けている」という自覚がない。そして大事な親のことを非難したくない。その気持ちを受け止める必要がある。

 いわゆる「崩壊した家庭」は確かに反省が必要かもしれない。しかし、家庭が子どもを育む器をもちきれなくなっている今、ある程度は社会でそういう子たちを育む姿勢が必要では、と思う。そういう意味で、保護者云々という原因究明的解決ではなく、地域の人間による働きかけによって子どもたちの身体を整えてあげようという建設的なアプローチはよいと思う。


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