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行間が読める人読めない人を隔てる壁


こんにちはメディカルフィットネスジム代表の錦戸です。
本日は『行間を読む』について書いていきたいと思います。
普段の業務内容からは離れますが、日々コミュニケーションを主体に生活しているのでその点も踏まえて読んでいただけると幸いです。

行間を読むとは?

一般的には、文章には直接表現されていない筆者の真意を組みとる事とされています。

例えば『また落ち着いたらご飯でも〜』というのは社交辞令のようなものなので、『あのーそろそろ落ち着きましたか?』と後日聞いてしまうのはややナンセンスと言える訳です。

『ややナンセンスと言える訳です。』

という言葉も言い換えれば

『間違ってます。』『良くないです。』

と言えてしまいますが、背景も色々あり場面によっては面白い聞き方にもなるだろう。

また読み手に使ってる人がいたら不用意に傷つけてしまうな、、。

といった複雑な感情があり結果としてややナンセンスと言える訳です。と言った言い回しになりました。

このように文章を読む際に、書き手の心理的な模様を読み解く事も1つのスキルとして持っていて損はないと思っています。

日本はハイコンテクスト社会?

日本はハイコンテクスト社会と言われる事が多いです。

元々は1970年に文化人類学者のエドワード・T・ホール氏によって提唱された概念ですが、センセーショナルだった事もあり、〇〇国はハイ、逆に〇〇国はローであるなど分けて語られる事が多くなりました。

更には日本人は『空気を読む』事が大切であり同調圧力が強いなどといった考えからも、日本はハイコンテクスト社会であり、暗黙の了解が多いと唱える人も多いです。

ハイ、全くの誤解です。

そもそも提唱者はあくまで仮説として提唱しただけであり、実際に研究をして実証した訳ではありません。

また、提唱者自身もエッセイといった形で表現しており『〇〇人ってハイコンテクストな文化だよねー。』程度の感覚です。

原著と更には後発の研究データを一通り見ていましたが、国による差はないという事がほとんどの研究で言われていました。

更には諸外国に対して特に日本は同調圧力が強い訳でもなく、暗黙の了解も少ないです。

日本=ハイコンテクスト文化の謎

ただ提唱者のエッセイにも日本人は世界一のハイコンテクスト文化を持っていると言われています。

今回はその原因について幾つかの仮説をあげていきたいと思います。

①広告の多くがハイコンテクストであった。
これはかなりあり得るのでは無いかと個人的に思っています。

日本語はあまりにも長いです。
1970年といえばマクドナルなどの海外の文化が多く流入してきた時代です。産業も大きく変化し様々な商品が作られていきました。

その中で必ず正確に伝わるように毎回毎回フレーズを考えていると消費者には全く刺さりません。

短い文でも消費者に伝わるように広告代理店は様々なキャッチコピーを生み出していました。

藤岡 和我夫 富士ゼロックスより

↑このようは文が一世風靡していた訳です。

これ自体は提唱より後にはなりますが、文字通り受け取っても何一つ分かりません。

ただ時代背景を理解すれば、モーレツと呼ばれがむしゃらに働いていた高度経済成長期から余裕ある美しい時代へと変化していく様を表した素晴らしいキャッチコピーだと分かります。

文章を上手く使って表現していた人が目立っていたという事もハイコンテクストであるといった誤解を招いたのかも知れません。

②古来から言葉遊びが流行していた。

日本には昔から俳句や川柳など少ない語彙で多彩な表現をする遊びがありました。

これだけ多くある言葉の中から人と被らないようにオリジナリティを出しながら情緒を表現するのは至難の業です。

このような言葉遊びの流行は海外の人からすればとてもハイコンテクストな文化が根付いていると思えるでしょう。

ただこれら2点も有名な広告プロデュースや貴族を中心とした文化人の成果であり、一般人がこのような表現力を持って生活していた訳ではありません。

分かる人には分かる

分かっている人が分かっているし分かる

なんとなく分かっておこう

よくある文化人から一般人への意味の波及に過ぎないと僕は考えています。

文脈を読む力は必要か?

結論から先に述べると必要です。

それはすれ違いや争いを生む為です。

もう少し正確に言うとハイコンテクストな文章に対してローコンテクストな解釈をしてしまうと齟齬が大きいです。

逆も余計な不安感を持ってしまったりマイナスな面はありますが、争いにはなりにくいです。

日々SNSを見ていると、よくわからないインフルエンサーと名もなき匿名アカウントが火花を散らしています。

最終的には発信者側は言い方が悪かったです、すいません。と言って集結していますがこれもある程度文脈が読めればわざわざ取り上げる必要もないたわいも無い文が発端になっています。

政治家も記者に対して言葉足らずな発言をしてしまい、内容によっては辞任に追い込まれるケースもあります。

辞任するなら政治責任をとって辞めてもらいたいのですが、、、。

『やっぱり卵焼きには醤油が必須だね!』

『私はソース派です😤』

こんなの日常茶飯事です。別に発信者も必ず誰しもが醤油だと思っている訳ではありません。
ただ強調として『やっぱり』や『必須』などの単語を利用しているだけです。

大多数の人は理解しており、コメントしたとしても怒りはないと思います。

ただ一定数これを批判だと捉えて怒りを感じてしまう人がいます。

これを『文脈が読めない人』と呼ぶのでしょう。

相手が不快になる事も良くないとは思いますが、むしろ僕が気になるのは、そんな事で怒りを感じてしまうご本人が最も苦しいだろうと思います。

前述の通り日本はキャッチコピーとして様々なアプローチを行っています。

強調するためにはどうしても断定的な物言いになりますが、その度に私は違う、俺はダメなのかなど不安を抱えてしまうのは辛いものがあると思います。

文脈が読めるようになる訓練というのは明示されたものはありません。

そして本当に文が読めていないのか、ただ八つ当たりしたいのか、あえて気づかないフリして炎上させたいのか僕には分かりません。

ただ文章を読むというのは書き手の背景や心情を読み取る事で更に面白く豊かになるという事を僕は知っています。

なので、SNSやネットニュースのような短いそのままの文より、本や新聞、noteのような書き手の想いが組み込まれた文章を楽しんで読んでいくのもいいのでは無いかと僕は思っています。


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