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想像力が世界を救う!?〜デジタル化の影で誓ったこと〜

ご訪問いただきありがとうございます。
りなおです。
夏休み中、Google認定教育者レベル1に挑戦したという話は前回の通りです。
今回はその挑戦をしてみて感じたこと、デジタル化の影で誓ったことのお話。

この私の小さな挑戦の中で、デジタル化によって自分の仕事の可能性を見ることができたような気がしました。授業ももちろん、いろんな場面で活用していけそうな気がします。ただ、これは忘れてはいけないと強く思うことがありました。

「人間にはこころがある」ということ。

これからますますデジタル化が進み、世界はどんどん変化していくでしょう。そして、すべてが機械的な世界になるかもしれないと思うと、言葉にできない恐怖感が拭いきれないのです。
 確かに、デジタル化によって私たちは便利さを手に入れました。物事を合理的に考え、どんどん「無駄」を省いていきます。しかし、その技術を考え開発するのも(AIに考えさせ、開発させると言った方が良いか…)、それを利用するのも「人間」です。私たち「こころ」を持つ人間です。

将来、その「こころ」まで機械化される日が来るのでしょうか。「こころ」までデジタル化される世界になっていくのでしょうか。人間の表情や脳波で計算し、心を数値化する技術はもうあるそうです。でも、人間の「こころ」ってそんなに単純でしたっけ?例えば、表向きは仲の良い友達で「大好き」って思うけど、心の中でその友達と自分を比べて劣等感を抱く時、その友達に「嫉妬」する。「大好き」だけど「嫌い」というジレンマを抱く人間は私だけではないと思います。

恋愛についてもそうです。「タイパ」「時短」という言葉がありますが、「恋愛」はその真逆にあるのではないでしょうか。無駄を省いて合理的に考えるのが正義というのならば、もはや恋愛の存在意義はないでしょう。だって、恋愛は究極の無駄な時間だらけだから。あの人は今頃何しているのか、何を考えているのか、と考える時間が無駄と思うなら、それはもはや恋愛でもなんでもない。恋人同士になった後も、例えばドライブデート中に車が故障するというハプニングが起こる。その時間が無駄、それさえなければ時間通り目的地に到着できたのにと思う時点で、恋愛ではない。なぜなら、そのハプニングさえ2人でいれば楽しいんです。それが無駄の対極にあるという所以です。

つまりこれからの時代、便利さを求めどんどんデジタル化・機械化されるのであるとするならば、私たちに求められる力というものは、それを扱う「技術力」というより他人のこころを思う「想像力」なのではないかと思うのです。では、その「想像力」はいかにして手に入るか。それはやはり「文学」の出番なのではないかと私は思うのです。

さて、そんなこんなで怒涛の前期が終わり、後期も走っている途中です。今年度中には今度はGoogle認定教育者レベル2に挑戦しようかと密かに計画しています。その時はまたご報告します!

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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