見出し画像

【書評】娼婦の本棚/鈴木涼美


筆者の鈴木鈴美さんは、元AV女優。
慶応義塾大学や東京大学大学院卒と高学歴でもあります。
その後日本経済新聞社記者を経て現在は文筆に専念されています。

本書はそんな鈴木さんが「20歳になるくらいまでに本棚に加えておいて欲しい本」という基準で取り上げた20作の小説を紹介する書評エッセイです。

鈴木さんは1983年生まれ。
アムラーや小室ファミリーがヒットチャートを席巻した時代。
茶髪にルーズソックスで放課後の渋谷に繰り出したり、ブルセラショップで自分の下着を売ったり、当時の言葉でいう援助交際なども経験し、その後はキャバ嬢として働いたり、歌舞伎町で遊び歩いたりといった青春を過ごされてきました。

鈴木さんの著書にはそうした時代をを彩るキーワードがいくつも散りばめられていて、それらが鈴木さんのいう刹那的な刺激を象徴しています。

そうした鈴木さんならではの視点は、同年代でほとんど同じ時代を生きながらも、おもしろみもなく、まじめに生きてきた自分には、思いもつかないものだったりして、私はいつも刺激をもらうのです。


夜の闇にはまりこんで、しなくてもいい後悔もしてきたと語る鈴木さんが、世界に繋ぎ止めてくれたものは、「本に挟まれた付箋の横に刻まれていた言葉」だったと言います。

また、本を読む醍醐味は「痺れる一文に出会うこと」だとも綴っているように、「言葉」をものすごく大事にしているのが見て取れます。

それらが示すように、鈴木さんの書く文章や、選ぶ言葉は思春期の女の子の心の機微や、賢さや浅はかさを的確に表現されています。
例えば、ただ「男性」と記すとそれは男性なのだけれど、鈴木さんが「女ではない奇怪な生き物」と表現するだけで、そこには鈴木さん、紹介している本の著者、読み手である自分の考えるそれぞれの男性についての想像が広がっていくのです。


ほかにも、文中では、井上ひさし著『私家版 日本語文法』を紹介しながら、自分の感情を辞書を引くことで把握し、言語化していく過程についても触れられています。

鈴木さんの文章を読んでいると、読者である私自身の今まで名前のつかなかった感情のロジックや成り立ちが分かったような気がしたり、その文章がきっかけで自分の感情を思索し振り返るきっかけになったりします。

前述のとおり、必要以上にまじめな学生時代を過ごしてきた私には、私なりに、もっといろんな経験をしたり、遊びをしたりしておけば良かったなと思うことがしばしばあります。

それについても、鈴木さんは、自身の半生を振り返りながら、「そもそも経験豊かとは何を指すのか?」と問題提起されています。
論文作成のために国会図書館に通った、今の自身の血肉となっている日々も、逸脱したある種非生産的と言える日々も、どちらも尊いものであるとしたうえで、そうした「空っぽを許容できるコップを持っていたことを幸運だった」と表現していました。

この一文を見ては私は、それが許容できなかったんだと、自分の考えや気持ちを解説してもらった気がしたし、まじめに生きたけど後悔はいっぱいだし、そのコップを持っていることは確かに幸運だよなと、そこからさらに、自分の心について考えを深めるきっかけになりました。


本書は「本を読む娼婦」であった鈴木さんならではの視点で綴られた、
至極の言葉や、思索の糸口がたくさん詰まった一書です。
鈴木さんが紹介する本を読んだ上でもう一度読んでみたいと思うし、それらを読まなくても十分楽しめると思います。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?