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短編小説 『沼の上』

季節は、春。
静かな水面を湛えた〝沼〟
浮いては沈みを繰り返す〝記憶〟
私は舟を漕ぎ出しました。


 季節の変わり目だからでしょうか。よく昔のことを思い出します。

 過去の風景や体験が、沼の底からポコポコと浮かんでは、沈むのを繰り返しているのです。

 ブナの林に囲まれた私の沼は、小さな公園ほどの大きさで、水面は硝子みたいに平らなのに、底のほうではぐるぐると渦を巻いていて、溜まった泥の舞い上がるのが底の見えない濁った水をしています。

 私はゆらゆら揺れて浮かぶ小舟の上で、浮いては沈む記憶たちを大きな網のついたタモ棒を使って一つずつ引き上げています。

 いよいよもう小舟に積めないというところまでくると、タモ棒から櫓(ろ)に持ち替えて桟橋まで漕いでゆき、桟橋の柱に小舟を係留して、引き上げた記憶たちを壊さないように沼の畔(ほとり)の芝生へと運び出します。

 そうして春の霧雨やポカポカ陽気に当てておりますと、記憶たちが一斉にぐいーんと伸びをして、パチリパチリと目を覚まします。中には覚まさないものもありますが、彼らは死んでいるのではなく、まだ目を開ける時期ではないものなので、起こさないようにそおっと桟橋の先まで運んでやって沼に沈め直してやります。

 目を覚ました彼らが語る言葉は大体が意味の分からない文脈もオチもない下らない話ばかりなのですが、私は適当な相槌をついて、ニコニコしながら聞いてやります。

 ひとしきり語り終えた彼らが満足して再び眠りにつくと、私は桟橋に繋留(けいりゅう)している小舟に眠った彼らを載せ、沼の一番深いところまで漕いでゆき、一つずつ沼に沈めてしまいます。

 とぷとぷ渦巻く優しい沼。

 沼が彼らを、底の底の、ずうっと奥底深くへ飲み込んでいきます。

 彼らの寝息さえも上がって来ないことを見届けると、すっかり安心した私はお手製の青海苔おはぎを一口齧り(かじり)ます。

 陽の光が、一仕事を終えた私を温めています。鳶(とんび)の鳴く声が遠くでします。

 おはぎの咀嚼(そしゃく)を終えた私は、そろそろとタモ棒を取り出して、大きなタモ網をゆっくりと沼に浸しては、浮いては沈む記憶たちをひとつひとつ引き上げてゆきます。

 手持ち無沙汰に暇をあかして。嘘でも、幸せそうな顔をしながら。

 濁った沼の上で春の陽気を感じながら、止まらない記憶の処理に勤しんでいます。

 




[おわり]

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