新しい社会形態へ

無知ながらに、資本主義の限界が来ているように思う。
資本主義とは、端的にはお金をいかに動かすかが大事である。つまり、荷物を運ぼうが、定型業務に尽力しようが、会食でコミュニケーションをとろうが、とにかくお金を動かす、つまり価値を産み出せばよい。
その際前提となるのが、株式会社と呼ばれる形態では、投資家による期待が活動の源泉であり、現状維持は論外という点だ。

もちろん成長を否定するわけではない。が、必要のない、無理な成長もしているのではないだろうか。そのことを象徴するのが「需要を創造せよ」という言葉。これは悪く言うと、多くの人が必要だと気づいていないポイントに対し、積極的にアプローチして必要だと思われようという、一瞬の洗脳(言い過ぎではあるが)に近い。

だからこそ、そうしてまでしないと利益があげられないほど資本主義の天井に近づいているということでもある。

ではどのような社会になればよいのだろうか。それは、必要性を軸にして、それが高い人に多くの報酬が払われる仕組みだと自分は考えている。

必要性とは、「あったらいいな」ではなく「なくなったらやばいな」と捉えるとわかりやすい。たとえば、食糧がなくなったら「やばい」。だから食糧を生産してくれる主体に、その主体の欲しい報酬(金銭的報酬なのか社会的報酬なのか感情的報酬なのか)を多くの振り分ける。

なぜこのような考えに至ったのか。それは、SDGs、気候変動、食糧危機といったワードがマーケティングの需要創造になるからだ。気候変動なんてものは人間が背伸びして自然を支配しようとした結果であるし、そもそも人間は宇宙時間でいえば微々たる少ない時間で生きてるだけの存在に過ぎない。だからこそ、本来はそれほど騒ぐべき事象ではないのだ。

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