知識のサブスク

タイトルをみて、なんだこりゃと思った人も多いだろう。なにより、書いている自分自身がふっとひらめいたフレーズであり、これから中身を考えようという段階である(笑)。

サブスクといえば、所有権ではなく利用権に対して支払いを行うビジネスモデルだ。今浸透しつつある(少なくとも大学生同士の間では)シェアリングサイクルは、その1つだ。

さて、知識のサブスクとなれば、知識の利用権という話になってくる。そうなると必然と知識の所有という前提から話をすすめる必要がありそうだ。

知識は、頭の中に記憶に残っている様々な事柄のことを指す。知識が定着すれば、それは忘れない限り「所有」している状態が続く。そしてそのためにしばしば学校教育で繰り返し学習などの演習を通じて定着が図られる。

なぜなら、所有したほうが活用しやすいうえにアウトプットがより高度なものになりうるからだ。しかし、ネットが発達していつでも「検索」できるいま、記憶という人間の機能の一部を外部デバイスに移転することができている。ならば、検索して調べるという行為は情報を利用していると捉えられる。

そこで問題になるのが、「検索」ではとっかかりとなるワードは主体側から提示する必要があり、その点で限定的な記憶の移転である。

よりサブスクに近い形で知識を扱うにはどうしたらよいだろうか。それは、官公庁、企業、メディア、SNSというあらゆる次元の情報発信源をひとまとめにし、アルゴリズムにてユーザーに情報を届ける仕組みはどうだろうか。

その際、届けられる情報のカテゴリー、視点(賛否など)などの観点でバランスのよい提示を行うという設計にしてはどうだろう。たとえば、ユーザーの利用履歴から、政府を援護する情報に興味があるというデータがとれたら、政府に反対する情報をそれ相応の数提供するというものだ。

ChatGPTのAI技術であれば、現存する情報の(解釈は難しくとも)分類はできるだろう。もちろん様々な倫理的問題を含んでいて危険な発想ではあるが、発想そのものに善悪や功罪はないので記した次第だ。

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