深夜のひとりごと

 別に死にたいわけじゃない。俺はただ生きるのが怖いだけなのだ。臆病でのろまでグズな俺だから、明日を生き抜く自信がないだけなのだ。
 とはいっても不安に駆られるわけでもない 。焦燥に胸を焼くこともない。ただただ生きる意味を見出せず、他者からもそう見限られるのが恐ろしいのだ。
 昔からそうだった。俺はどこか皆んなとは違う別の世界に生きているような気がしていた。皆んなみたいに晴れやかに笑うことも、一度だってできたことはない。俺ばかり、いつも下を見ているのだ。ゴツゴツとしたアスファルト、背の低い雑草、さらさらとしたアスファルト、河川敷のじゃり道。今になって懐かしく思えるのは地元のそんな風景で、そこにどんな建物があったかなんてものは一切俺の心を引かない。それでいて雑草の名前も、どうしてアスファルトにはあんなに種類があって、それらが使い分けられるようになっていったのかを知らない。そんな俺だからいけないのだ。
 べつに家族のことは嫌いじゃない。しかし二十歳の祝いに実家へ帰っても、少しシミの増えた階段、軋んだ廊下、それらは確かに俺の心に触れたけれど、そこにいる人たちはどうも他人のように思えてならない。少し痩せた背の低いあの人がお母さんだったのはわかる。かつらをかぶっていつもみかんを寄越してくれるのがおばあちゃんだってのもわかる。しかしあの人たちと十数年も一緒にいたとは、どうにも思えなんだ。身近な人の顔というのは、かえって印象の薄いものなのだろうか。お母さんはどんな顔をしていたっけ、確か二重の垂れ目で、低い鼻、深いほうれい線があったような気がする、それで髪は肩より上でパーマをかけていた、白髪染めをして茶色い髪をしていた、などと空想してみることがある。考えれば考えるほど、それは確かに近くにいた人の顔のような気がするのに、そんな空想をしているときは決まって近くに似通ったおばさんが歩いていて、不意に心臓を掴まれたような心地がする。斜めのあのおばさん、もしかしたら俺のお母さんなのかもしれない、とか向こう岸の女の人は服装がまさにお母さんそのものだし、あの人は、という具合に、全てのおばさんがお母さんに見えてきてしまう。
 そして俺はいつの間にやら脈が乱れて、苦しいような、ひどく疲れたような、とにかくその場に座りたい衝動に駆られる。その瞬間のこころの色は、中学生のころのそれによく似ている。
 不眠の夜はいろんなことを考えてみて、気がつくと死にたいだとか考えてみたりして、いやいやそんなことはないんだ、ただ苦しいだけなのだ、と毎度同じな結論を出しては、嘘のように頭が冴え渡ってしまう。
 やっぱり、全ての起こりは中学生のイザコザだろう。もちろん、不眠に悩まされるのは俺の体質で、小学生のころだってそうだった。それでも、心がどこかに縛られて、それも遠い木の枝に縛られたようにふわふわとしているこの感触は、あいつに絶交されたからだ、あるいは俺が意固地になって、それこそ生まれ持った向こう見ずに浮かされて、あいつを悲しませたからだ、とか考えてみたりする。数年前までは他のものに縛られていた気もするが、そのしがらみはもう解けた。
 その日から俺には親友がいない。ネガティブゆえの行動力で友だちを何人も作っては、失ってきた。いいや、俺が一方的に去ったのだ。だって、近くにいるのが怖いのだ。いつか俺がこんな人間だとバレてしまうのが怖いんだ。気のおける友人なんて、心にスペースをとり過ぎる。いなくなったら俺はまた、きっと辛くなってしまう。想像もできないほどの永遠をひしひしと感じながら、流れる月日に焦燥だけがむやみに俺を焦らすんだ。俺はずっと同じ場所で、足踏みさえできていないのに、一日一日と過ぎて行って、取り残された俺の足はもう地面につくことはない。胸が悪いような気がしてえずいてみたり、どこかに行きたいような気がして走り出してみたり、人が怖い気がして学校をサボってみたりして、それでもこころのモヤは少しも晴れない。
 ただただ苦しい日々に嫌気がさして、ついに逃げようと決意しても、俺はやっぱり皆んなと違うから、逃げることすらもできない。ひたすらにうずくまるばかりで、また皆んなと差が開いていく。
 こんな夜は音楽すらも時間を知らせてこわいから、耳鳴りをBGMに、腕の痺れをこころの枷にして、またやっぱり考え事ばかりする。
 どうしてこうも、俺はなだらかな結末を書けないんだろう。もう、これで終わり、みたいな終わり方ばかりだけど、俺にはそれしかできないから、もう、これで終わり。

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