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小澤征爾さん、私は無事二足歩行動物に戻れました。

小澤征爾さんのファンになったのは、1993年ベルリン郊外ワルトビューネで行われたベルリン・フィルのピクニックコンサートのテレビ放送だった。バレエファンだった私はチャイコフスキーのバレエ曲ならだいたい聞き慣れていたのだけど、小澤征爾さんが指揮するくるみ割り人形の『花のワルツ』を聞いたとき、私の目前に広大な花畑が広がり、そこで花々がたくさん空に舞い上がっているような幻想を覚えた。ああ、これはバレエダンサーとか特定の人たちにある音楽ではなくて、一般の聴衆でも花のように舞い上がって、踊って、楽しんでいいんだという許可証のような演奏会中継だった。この経験が元になって、私は指揮者によってもしくは楽団によって音楽がまったく違うものになるということを体感でき、その後30年以上もクラシック音楽ファンで居続けることになった。

そして、彼の演奏がもう一つ私の人生で転機を与えることになる。誰にでもあるように20代後半の頃、私は人生に絶望してしきっていた時期があった。恋愛もうまくいかず、仕事も薄給でつらい。幸い良き友人には恵まれていたのだけど、その友人たちも結婚や出産で次のステージに行ってしまう。そんな晴々しい世界に住む友人たちに、自分のすす汚れた気持ちを打ち明ける気も起きなくなり、一人暮らしのアパートの一室でだらだらとした生活を送るようになっていた。そんなときにたまたま近くの図書館から借りてきていた小澤征爾さんのマーラー『復活』のCDを聞いた。それは狭い部屋をほぼ四足歩行する生き物と化していた私を、また健全な二足歩行動物に戻してくれたような力強い励ましのメッセージだった。脳内で、とにかく、いつまでもこうしてはいられない、生きなくては、生きなくては、言葉が浮かび、何かに駆り立てられるように、CDプレーヤーから流れた音の奇跡を体で感じ取った。私はキリスト教徒ではないけれど、なぜ三大宗教の一つのキリスト教がこの世に存在するのか、その意義を否応無しに理解させられるような圧倒的な音楽だった。

小澤征爾さんの追悼記事には「世界から愛された小澤」という文字も並ぶが、それは必ずしも正解ではない。クラシックファンには必ずこの人のここが嫌いというようなめんどくさいこだわりのファンが大勢いる。ただ、小澤征爾さんの功績というのは、クラシック音楽という人間が思考しつくして作ってきた芸術を、私のような庶民の耳にも響くようにうまく翻訳してくれる指揮者だったように思う。というか、小澤征爾さんは、「クラシックなんてつまんねー」と言い捨ててしまうような聴衆さえ、心から信じ切って指揮台に立っていたのではないだろうか。

さて、小澤征爾さんの『復活』聞いて無事二足歩行動物に戻れた私が、その後どうなったかを思い出してみた。30代になってとりあえず仕事は頑張った。そして幸運にも今の夫とも出会い、二人でパリ旅行をしたときのことだった。その帰りの飛行機で小澤征爾さんと同じ飛行機だったのである。もちろん小澤さんはビジネスクラスだっただろうけど、セキュリティの列で待っているときに、チェロを持った黒髪の美女と楽しそうに話をしているおじいさんがいて、よく見たらよれよれのTシャツに野球帽を被った小澤征爾さんだった。今思えば、旅の恥を掻き捨て、会話しているお二人の中に割って入って写真やサインを頼めばよかったのかもしれない。でも今こうして、自分の人生を静かに振り返ることができるのは、あそこでそうしなくてよかったねーという神様からのメッセージであるようにも思う。そして、今孤独を感じている人が、こういう形で孤独から抜け出すこともあるんだよ、という事例を書き残しておくことが私の使命なのかな、とも思う。

小澤征爾さん、ありがとうございました。もう先生から新しい音楽が生まれないのかと思うと寂しい限りですが、先生の音楽を聞いて励まされ、元気に生きている人が、私を始め世界中にたくさんいます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。




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