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般若心経のことども4 ないないない

さて、先を急ぎます。ものの世界には実体がないということが分かりました。では、心の世界はどうでしょうか。

受想行識 亦復如是(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)

五蘊の構成要素である「受想行識」は心の動きのことでしたね。物質的な要素と同じで、こちらも実体などないのです。まあ、想像通りですね。亦復如是=また同じ、です。

舎利子 是諸法空相(しゃりし ぜしょほうくうそう)

舎利子よ。あらゆるものは空であるー。
諸法とはこの世のすべての基本的な存在要素をさします。物質、心ときて、しまいにはすべてのものが空、すなわち実体なんてあるもんか、と心経さんは言うのです。そして、さらに畳みかけます。

今回はここ

不生不滅 不垢不浄 不増不減(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)

生ずることもなく減ずることもない。汚れることもなく清らかになることもない。増えることもなく減ることもないー。
この世のあらゆるものの実体は空であるのだから、目前で起きている変化は、そのように見えているだけである。「諸行無常」というお釈迦さんが説いたこの世の本質さえ、「錯覚じゃねえ? そんなふうに見えているだけじゃねえ?」と主張しているのです。ホントにいいのか、心経さん。

是故空中 無色 無受想行識(ぜこくうちゅう むしき むじゅそうぎょうしき)

これゆえ、空の中にあっては、物も心の動きもないー。
とにかく、ないそうです。ない、ないはまだ続きます。

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法(むげんにびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう)

色も声も香りも味も触覚も法もないー。
ここで言う法は「心に思い浮かぶもの」といった意味です。

無眼界 乃至無意識界(むげんかい ないしむいしきかい)

目に見える世界はなく、意識の世界もないー。

無無明 亦無無明尽(むむみょう やくむむみょうじん)

無明(無智)はなく、無明が尽きることもないー。
煩悩にわずらわされることはない。ただし煩悩が尽きることもない。と言ってるようです。おいおい、どっちやねん。

乃至無老死 亦無老死尽(ないしむろうし やくむろうしじん)

そして、老いも死もなく、また老いと死が尽きることもないー。

無苦集滅道(むくしゅうめつどう)

苦集滅道はないー。
苦は、四苦八苦のことですね。集は苦の原因となる煩悩の集まり、滅は苦と集の尽きた悟りの境地。道はそこへと至る修行のことです。四諦とも言います。お釈迦さんはこのことわりを悟って入滅しました。

それなのに、それなのに。そないなもの、はじめからあるかいな、と言っているのです。お釈迦さんが考えていたこととは随分違うような気がします。

無智亦無得 以無所得故(むちやくむとく いむしょとくこ)

悟りに至る智恵もなく、悟りもないー。

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙(ぼだいさった えはんにゃはらみたこ しんむけげ)

菩薩は智恵による。ゆえに、心に妨げがないー。
罣礙は難しい字ですが、妨げ、障害といった意味です。

無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒 夢想 究竟涅槃(むけげこ むうくふ おんりいっさいてんどう むそう くぎょうねはん)

妨げがない故に恐れることもなく、いっさいの倒錯した思いを超越して涅槃に入ったー。

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)

過去、現在、未来の仏たちは智恵によるがゆえに、このうえない正しい悟りを得たー。
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい」とは、悟りの境地。なんじゃいな、という感じですが、これも音写なので、そうなるわけです。

「故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大神咒是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実不虚」(こちはんにゃはらみた ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ のうじょいっさいく しんじつふこ)

般若波羅蜜多を知らなければならない。これは大いなる真言(マントラ)であり、これは大いなる智力を持つ真言であり、これは最上の真言であり、比類なき真言であり、一切の苦しみを除く、偽りのない真実の言葉であるー。

マントラ最高!ということでしょう。もともとバラモン教で使われていた呪文をマントラと言いました。真言宗とはマントラ宗ということだったんですね。

「故説般若波羅蜜多咒即説咒曰」(こせつはんにゃはらみたしゅうそくぜしゅわつ)

ゆえに般若波羅蜜多の真言を説く、すなわち真言を説いていわくー。
説いていわく、いよいよ呪文が登場します。次回は、マントラってなあに、です


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