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いっちゃったよ 大神神社 (上)

いっちゃったんです。大神神社(おおみわじんじゃ)。奈良県のね。と、たいそうな書き出しになりましたが、近年の我が家の恒例行事なんです。

信仰の原点だす

この神社、拝殿も非常に立派で素敵なのですが、その拝殿から右に歩けば「磐座(いわくら)」。ここをね、丁寧にお参りすることにしとります。そもそも磐座とは、神様が降臨した、あるいは、神様が湧き出てきた場所のことで、まさしく信仰の原点であり、肝心であります。参拝後、わが一家は、ご神水を頂いて1年のご加護をお祈りするのであります。

坊主が神社でなにやってんねん、と言う人。修行が足りませんなあ。ワタクシの他の文章を読んでご覧なさい、と上から目線で説教いたしときます。復習になりますが、神仏分離令は明治時代のことでしたね。神仏分離とは、宗教上の潔癖さを追求したのではなく、政治的な必要からやられた愚策です、と、ここは坊さんなので言っておきましょう。政治が宗教にからんで、廃仏毀釈の暴風を引き起こしました。

なぜに人は詣でるのか

この神社にお参りして毎回不思議に感じるのが、参拝者の数がとっても多いことでんなあ。世間的にはお正月も終了しています。何故にここまで人々を惹きつけてやまないのか。

歴史的背景からそのヒミツを考察してみましょう。

縄文時代は、神様(自然)と人間との区別がなく混沌としていたのであるが、と胸張って言い切っちゃっいましたが、多分そうとしときましょう。でないと前に進みませんがな。

祈る、豊年万作

やがて人間は農耕を始めます。そうなると人間の営みが神さまと分離、区別されるようになるんですなあ。豊作豊漁でないと困りますもん。飢餓ちゅうのは恐ろしいのです。1週間も物を食べんでおってみてください。どんだけつらいか。

ニューギニアやミャンマーで旧日本軍の兵士が飢えに苦しんだともいうでしょ。1回調べてみてください。極めて短い時間で、地獄が発生している。

自然は思いのままにならない。ならば神様をたたえましょう、たたえていい目を見させてもらおう、となったんじゃないんですかね。三輪山自体をご神体とする大神神社の信仰が始まったのはそんな時代のことなんです。われわれの宗教観の元祖といってもいいでしょうか。大神神社は日本最古の神社とも言われていますよね。

崇神天皇の時代

三輪山は古事記や日本書記の神話にも出てきます。奈良盆地の東南に位置し、円錐形の美しい姿ですねえ。第十代崇神天皇の時代、といってもこの人、実在するかどうかいまだに論争があるそうなんですよ。疫病が流行り多くの民衆が亡くなる、まさに国難、三輪山の大物主大神が天皇の夢枕に現れ、お告げを授けた。それにより国難を逃れ、国は栄えたという伝説に基づくようです。

これだけの古い言い伝えをもつ神社は他に存在せず、だからこそ、日本国中から参詣・参拝に訪れるのでしょう。ボクの経験から言っても、かなりのパワースポットであることは間違いなし、ご利益も満載のような感じがいたしますねえ。

(下に続く)


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