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いっちゃったよ 大神神社 (下)

で、家路についたボクの頭にひらめいたのがこのテーマ、「幸福(満足)観」でありました。

幸福観は2種類に分類できるのではないでしょうか。

1  短絡的(束の間)な幸福観
 非持続型、不穏、非日常(非習慣性)、即効性、極端、誘惑
  例)飲酒、ギャンブル、不貞、暴力(暴言)

2 長期的(とこしえ)な幸福観
 持続型、平安、日常(習慣性)、遅効性、平均、善導
  例)運動、瞑想、学習、利他

1には必ずリスクや副作用が伴い、2にはそれがない。仏教的に表現するのならば、1は三毒<貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)>であり、2は三学<戒(いましめ)・定(ぜんじょう)・恵(ちえ)>である。

満たす、満たされる

これらを少し異なった言葉で言い表すのであるのならば、「1、満たす」であり、「2、満たされる」となりましょうか。

「満たす」は能動的であり、「満たされる」は受け身ですね。1は積極的に自分の欲望を刺激することによって心を満たすのであり、2は日常的行為の連続性の中で心が解きほぐしていくのです。なすがままに、世界と一つになりましょう、ということですかねえ。わかんねえな、これじゃ。

刺激は刺激を呼ぶだけですから、飢餓状態が続きます。それもまた人生ですが、幸福感は長続きしないですね。ボクが推奨しているのは2です。それは日常生活をなるべく変えないようにし、自分自身のルールを作り、それを遵守していくというものであります。意識高い系といわれる人たちのように、「丁寧な生き方」と言い直してもいいけれど、両者はイコールではないですね。人生はファッションではありません。

わても精進させてもらいます

人生はリアルです。命は生まれ、消えていく。ただ肝心の、開幕と終幕の自由はございません。ワタシらは自由に生まれてくることも、自由に死ぬこともできないのです。自殺というのもありますが、それは状況に強いられているだけで、自由とは言えません。実に不自由な状態で生まれ、不自由な状態で死んでいく。だからこそ納得感の大きな生き方をしたいものです。

能登地震によりお亡くなりになられた方々に哀悼の意を捧げると共に、被災なされた方々の早期の復興と、これからの多幸をお祈りしながら、令和6年もボクなりに利他行を行っていき、そしてまた、面白くて役立つ原稿が書けるように精進していきたいと思うのであります。合掌。

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