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日記 8月28日

長い文章を書けなくなったなと思います。

短歌ぐらいの秒数、あるいはツイッターぐらいの秒数に慣れてしまったからだと思います。

去年はもっとかけたんですよ。何かを書くってことは何かを書かないことで、今の私は書かないことを選択するための労力がないのだろうと思います。、それと自分の文章に責任が取れなくなってしまった。自分と自分の文章を切り離してしまう。私の個人的な体験を感動した話を客観的に捉えてしまう癖がこの1年でついてしまったように思います。

それは、良くないことだと思います。

エッセイを書くようにしましょうか。ほむらせんせー!勉強になります!

今日は1人で直島に行きました。本当はいとこのなっちゃんと行きたかったけど。

今の時期、直島と言えば瀬戸芸に当たるわけですが、そうではなくて瀬戸芸の時期に合わせて私の好きなアーティストさん(顔見知り)が個展を開いていたのです。

一人称が俺→うらら→私、この1年で変化しました。私という一人称は私性をなくし、生きている意味が感じれないように思います。なぜなら私は男だからです。

実はzoomで歌会をしながらの個展参加でした。歌会に参加してた皆さんこんな私でごめんなさい。

1年ぶりに会えました。浪人していた頃に大好きでよく写真を取らせてもらってました。

本人がエゴサしてこのアカウントがバレるのが嫌なので名前は隠します。

私は私の撮った写真が好きです。今改めて思いました。

1年ぶりに会えて嬉しかったです。嬉しかった。この感情の解像度をあげるだけの文章をかける労力は私にないと思います。

つくばに戻ったらまたカメラを始めようと思いますが、私は風景が嫌いで人が好きなので、なるべく人の写真を取りたいと思います。人というより、個人が正しいですね。

興味のあることしかしないのは良くないですね。

アーティストさんの作品について言及はしません

私は作品は好きなのですがそれと同じぐらいこのアーティストさんの人柄が好きです。素直に笑うところが好きなところです。笑うってにこにこするって、かわいいです。多分その人の周りはずっと優しい空気が流れてると思います。

私はピリつかせたり、どよ~んとさせたり、あるいは爆笑をとったりと、ヘンテコだなと思います。

私は、アーティストさんみたいに笑って生きていたいなと本気で思いました。難しい顔をすることもあるけど人前では笑ってにこにこして、仲良くしたいです。と思いましたし、これからもそう思ってもらわないと困るのでnoteに書きました。

こうやって私が私を客観視してしまうところが私が私を嫌いであるところです。

私は人より優れたいとか、凄いと思われたいとか、そーゆー薄汚い感情が根っこにあるんだと思います。これは、私が十分な理性を獲得した上で上手く折り合いをつける、あるいは隠して行かないといけないことだと思います。

だからこそ、アーティストさんを素敵だと思いました。尊敬しています。私はどのような生き方ができるでしょうか。あなたは素敵です。

1つ短歌を作りましょうか、その人を想って。

線を描くあなたのこぶしは静かなの、静かなこぶしは激しかったな

あなたは何に感電をして、私は何に感電をして、月は光を求めてますか

なんにでも笑えるあなたが好きである
あなたの周りの押し花が好き

公園の蛇口ひねってはつなつの空にとびだす笑顔が好きだ

笑うことあるいは感電することがあなたを、いや、やっぱなんでもないわ

私はあなたのようになりたいしあなたのように笑いたいしあなたのように感電したいし、私はどこまで行ってもあなたには敵わないと思うよ。だから私はあなたを尊敬します。これからもファンでい続けるんだと思います。




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