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兄弟の中で自分だけ何かが違う~負った傷にいまでは感謝~

自分だけ兄弟の中で、何かが違うし、
家族ともどこか合わない。
小さい頃から家から早く出たい、独り立ちしたいと思っていた。中学生の時には、寮生活でもいいから家から出て生活したいと思っていた。

ただ現実は金銭的な問題から、大学入学時に念願の一人暮らしをやっとはじめられた。
一人暮らしをしてからは、実家に帰省するとしても、長くても2泊3日。今では数時間帰れば十分な気持ちになる。

そんな私の気持ちとは裏腹に、親や兄弟は家に帰って来いと言うが、望まれるような気持ちには応え難い。冷めてるとか、冷たいとか思われるかもしれないが、これが正直な気持ち。

なぜこういう気持ちになったか、、
思い返せば家族から他の兄弟と比べられてきたことで勝手に心に傷を負っていたことがひとつにある。

最初のブログに少し書いたが、私は双子で生まれ、相方の姉は生後1日で死んでいる。子供の頃、何か自分が母の言うことを聞かない、反抗することがあると、「○○(姉の名前)だったら、もっと素直だったと思う」と皮肉を言われる。

目の前に見える人と比べられるのも嫌だが、どんな性格かも分からないうちに亡くなった姉と比較されるのが何回かあり、心の中では悔しい気持ちになったし、自分は「本当は両親の子ではなく、里子だったのではないか?」と卑屈な気持ちになったことも何度かあった。

4つ下の弟が一人いるが、弟は小さい頃から私より優秀。保育園の頃にはじめた書道では、習い始めて1年経つか経たないうちに県で1位の成果を出したり、記憶力もスポーツも私よりずっとよかった。また、私より年上のいとこ全員が女と言うこともあり、弟が生まれたときには、男の子が出来たと言うことで祖父母は喜んでいて、嫉妬した。

 そんな弟も段々平凡になり、高校は私と同じ進学校に通っていたが、ある日突然学校に行けなくなった。前日まで普通に部活に通っていたそうだが、それから親に送迎されて保健室登校、そして、不登校になっていき、たまにカウンセラーにも母と一緒に受診していた様子。当時、私はすでに実家を出て大学生活を送っていたが、母からたまに電話で報告があった。

不登校になり3ヶ月経った頃、急に海外の高校に留学に行きたいと弟が言い出したとうことを聞いた。母も私もそんなことは父に大反対されるだろうと思っていた。というのも父は学区外の高校に進学した私達兄弟が選んだこともそんなによく思っていなかったし、学校に行かないことでキレている話も聞いたことがあったから。その上、白血病から退院して1年は経っていたが、まだ本調子で仕事も出来ていない頃だったので,金銭的にも厳しい現実もあった。

しかし、想像とは真逆の反応。「家に引き篭もるよりはいいから行きたいなら行け」という判断が下されたことを聞いた。
このとき心底悔しい気持ちになった。
わたしも海外の大学進学を考えたが、却下だったし、行きたい大学のために浪人させてほしいと頼んだが,それも却下だった。
弟に対する親の気持ちも分からないわけではないが、ただ甘えているようにしか見えない弟がなぜ受け入れられるのか、と怒りも覚えた。

そして、やはり兄弟の中で、私の扱いは違うんだな・・・と小さい頃に感じたときの気持ちがよみがえった。

だから、家から一歩出ると承認欲求から、他者から認められようとも常に顔色をうかがいながら、自分の気持ちは伏せて周りに合わせて生きていたし、家族に対しては見返してやりたいという気持ちで就職して、稼ぎたいと思っていた。

それで実際、家族からは認められるような企業に就職は出来た。
実際、そこで働いていることを誇りに思われていたことを親戚から聞くこともあった。
ただ、なんというか、私の中では認められたことが私の心の屈折を直す根本解決にはなっていないことに気付いていく。

自分がなぜこの家族のもとに生まれ、このような比較をされるような人生を送らないといけなかった意味。

私自身の人生与えられた課題を乗り越えるためだと、ある日分かったとき、自分がこれまで積んできた被害者意識から抜け出そうすることが出来るようになってきた。

いまでは、本当の意味での親孝行を考える。私自身が卑屈でも嫉妬もすることなく、平等に他人も家族も関わっていける大きな器になりたいと思える。

これまでの傷を癒やしたり、傷を見て見ぬ振りしたり、時間が解決するのを待つのではなく、自分と向き合い、自分の成長につなげていき、それが本当意味で親の幸福にも還元されるように。すべての人に愛を持って接することの出来るように。。。


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