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出戻り工学にっき(1) はじめての春は私を変えた

前に勤めていた会社を辞めて約半年。修士課程の学生として大学に入学してから、もうすぐ3か月が経とうとしています。試行錯誤の毎日の中で、変わっていく自分と、変わらない自分の両方を感じます。日記がてら、これまでの振り返りを残しておきます。


英語で論文を読めるようになった

学期始めはDeepLなどで翻訳しながら英語の論文を読んでいましたが、次第に英語と日本語を行き来するのが面倒になり、ここ最近は最初から英語で読むようになりました。すると、次第に読み方のコツが掴めてきて、今ではだいぶ短い時間で全体を読み通せるようになりました。さらに、読む量が増えたことで面白い論文に出会う回数も増えました。その結果、研究生活の要である「論文を読む」という作業が楽しく感じられるようになってきました。最初はかなりヒーヒー言っていましたが、頑張ってよかったなと思います。

英語で考えるようにしてみた

非英語話者向けのアカデミックライティングの本に「英語で文章を書くなら、その前に作るメモから英語で作った方が効率がいい」と書いてあったので、最近は色んな考え事を英語でするように頑張っています。気を抜くと、今までどおり論文や講義ノートの余白に日本語でメモを書きこんでしまうので、慌てて消して英語に書き直しています。こんな生活を続けるうちに、なんだか脳みそから日本語が消えていっているような気がしています。自分の中で、日本語は家族と話したり文学を味わったりするためのことばで、英語は研究のためのことば、という感覚になってきました。

厳しい先生の講義をとってみた

春に「あの講義はキツいからやめておいた方がいい」と先輩に言われ、興味があるにもかかわらず履修しなかった講義がありました。その時は、研究に十分な時間が割けなくなることが怖くて履修を諦めたのですが、時間が経つにつれて「どうしてもあの講義が聞きたい!」という気持ちが抑えきれなくなり、担当の先生にお願いして参加し始めました。そしてその講義がとても楽しい。進むスピードは速いけど、学問と真摯に向き合う先生のお話は本当に面白くて、聞いていて胸がどきどきします。生命の神秘やそれを紐解く科学の進歩に胸を打たれるあの時間が、一週間のうちの大きな楽しみです。思い切って参加してみてよかったなあ。理不尽でさえなければ、むしろキツいことを好む自分を再確認しました。

積極的に話してみた

これまでは、どんな場であれ人前で声を発するのが苦手でした。ただ、私がいる大学院の講義の多くはディスカッション中心。また、少人数制の講義が多いため、先生も交えてわいわい話すことがほとんどです。そこで、この春から「もうどうにでもなれ!」と、思い切って口を開いてみることに。そうすると、自分のネガティブな予想とは裏腹に、周りの皆様は私の話を優しく聞いてくださる、ということがわかってきました。さらに、自分と違う考えを聞くのは楽しい、という当たり前のことにもようやく気づきました。ひょっとしたら、世界と交流するのって自分が思っているより楽しいのかも、と実感し始めた春でした。

やっぱり考える時間が楽しい

新学期のバタバタした生活が落ち着いて、ようやっと自分のデスクでどっぷり考えごとをできる時間が増えてきました。講義で聞いたこと、論文で読んだこと、教科書で学んだことを頭の中で混ぜ込んで、ノートに好き勝手書き殴っていると、まるで雲一つない晴天の下、どこまでも続く大海原を風を切って進んでいるようなわくわくした気持ちになります。私にとって勉強とは、大きなエンジンのついた船を手に入れたり、遠くの海のことを書いた世界地図を手に入れたりするような感覚です。どこまでだって漕ぎ出していけるんだ、という前向きな気持ちになれるので、私は勉強や研究に割く時間が大好きです。

以前勤めていた会社を辞めてから、気づけば半年以上が過ぎていました。変わったことも変わらなかったこともありますが、今の毎日はとても楽しくて、感謝の気持ちでいっぱいです。これから来る夏も楽しみです。

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