日本文学概論【3】-太宰治の方法-

大学院における、研究の中心は芥川龍之介だったので、太宰論は書いてはいないが、学部の頃から、全集など何度も読んだ、太宰治である。今、現在、自分の自己研究の範囲は、埴谷雄高であるが、太宰治を抜きにして、日本文学は語れまい。という訳で、執筆を試みる。

今回は、太宰治の方法について述べるが、これは大変厄介な問題である。小説は分かり易いのに、方法論となると、途轍もなく難しい。独白の様でもあり、虚構の様でもある。ただ、その源泉に、読者を小説へと引き込む方法を、太宰は自認していたに違いないのいだ。これほどまでに、大量の小説を書くには、つまり、その方法論がないと、これ程人気も、出なかっただろう。

太宰治の目指した文学というものは、正直言って、よく分からない。ただ、生活の裏に、いつも死の問題があったということは、言えるだろう。何度もの心中は、その典型だ。つまり、そんな風にしか生きれない、自己というものを、其の侭、小説化したのではないか。一種の役者であって、それが、読者を小説へと引き込む力になっていたのだろうと、思われる。また、実に、その方法が、太宰治の方法論だとも言えるだろう。

太宰治は、極論で言うと、言葉のペテンである。ここでいうところの、ペテンは、悪い意味ではない。小説家としては充分に価値のある、ペテンを用いて、小説を書いた。その意味でも、太宰治の方法論は、飽くまで役者である。独白に、読者を欺くかのような態度で、順読をさせずに、延々と嘘を語る様な、方法論だったと思われる。
また、その姿勢が、虚構としても、実に適切な態度だ。自分は太宰治の方法論に、一種の発狂まで見る。そのくらい、芸術至上主義だったのではないか、と考えられる。

太宰治論は、ここまでとするが、まだまだ、研究の余地のある小説家であることには、変わりないと思われる。

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