なぜ読書が必要なのか
まずは過去の自分の読書メーターの投稿から。
日常生活への応用力の向上
ただの趣味や暇つぶしで始めた読書から得たものを、生活の中に活かすことで2倍にも3倍にもその価値は高まると思うのです。最近読んだ本で、自分のこれまでの価値観の強化につながったものがありました。
『山の上の家事学校 (単行本)』近藤 史恵
特に、『すべての人間関係において、自分のことは、自分でやるベースを持つことは大切だと改めて感じました。』は、最近の実体験にも関わってくることなのです。(後述)また最近読んだ本(妻はサバイバー)の中にも、心を揺さぶる言葉がありました。
『ひとは、一人が別の一人の面倒をそっくりみるようにはできていません。』
雷に打たれたような衝撃がありました。それは少し前まで、自分自身の権利と他者に対する寛容さ、そして責任の中で大きく揺れ動く体験があったからです。
とある土曜日朝(私は休み)、同僚から連絡がありました。しかしながら休みのためすでに約束があり、出かけている状況でした。
手伝ってほしいとのことでした。
結果として、私は戻りませんでした。シンプルに約束があったからです。それを反故にしてまで、戻る責任があるのだろうか。私には戻らない選択肢は残されていないんだろうか。正直、悶々としました。もちろんその同僚が命の危機にさらされている、犯罪に巻き込まれたなど緊急事態であれば、間違いなく戻ったと思うのです。
その一件からしばらくして、あの言葉に出合い、モヤモヤとした呪縛から解き放たれ、救われた気持ちになったのです。
『ひとは、一人が別の一人の面倒をそっくりみるようにはできていません。』
「ああ。これでいいんだな。」とようやく安堵したのを覚えています。つまり、読書は日常生活の様々な課題や困難もしくは、一見見えにくい壁に対して、乗り越えるヒントをくれるようなものなのです。
同僚である彼女はその後、少し変わったように思います。頼ることは決して悪いとは思いません。しかしながら、相手の尊厳や権利を侵す領域まで、踏み入ってはいけないという、一線は必要だと思うのです。
軸をもって生きるとどうなるか
みなさんは、軸をもって生きていますか?私はもともと軸がブレブレで、たびたび上下左右に揺れ動く、小さな小舟のような人間だったように思います。ちょっとした波風起きれば、今すぐにでも転覆しそうになり、雨が降れば嵐になるんじゃないかと恐れ、そもそも沖に出ること(チャレンジ)すらできませんでした。とても脆くナイーブだったのです。
しかし、読書はこちらでも書きましたが、
そんな私に、勇気という軸をもたせてくれました。
未だに小舟に乗って、自分の人生という海原を進んでいますが、たとえその船が転覆しても、救命胴衣を着て、自力で泳いで無人島にたどり着くような根性とレジリエンスを身につけられたと思います。
再起力を失った心は、脆くネガティブであと一歩を踏み出すことができないと思うのです。何度も躓いて、踏みにじられて、心は傷つきました。それでも私が自分の力で両の足で踏ん張り立ち続けられるのも、軸があるからなのです。
豊かな感情を表現力で鍛えること
今まで4か国語を学習してきて、日本語は非常に複雑でユニークかつ興味深い言語であると断言できます。例えば、英語でInterestingを意味する言葉(意訳含む)を語源まで遡ると、物事の間に入り込んで知りたいという意味になります。それを訳していくと興味深いという言葉につながるのですが、他にも
楽しい
面白い
心がひかれる
興味津々
など様々な意訳を考える事ができます。
さて、これだけの表現をもつ日本語だからこそ、様々な比喩的表現や婉曲表現にも富んでいるのではないでしょうか。日本語でしか出来ない表現を大切にしていきたいのです。
自分で磨いて、整えて、それらを使い続けられるように準備をしていくこと、それこそが自分の表現力を高める一助になると思うのです。
読書の良さが伝わると幸いです。私の読書旅も続きます。最後までお読みいただきありがとうございました。
サポートありがとうございます。感謝です。