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インキャの極みの僕が英語力"0"でアメリカ留学した話 ②台湾人の温かさに泣いた話

こんにちは

摩天楼、ニューヨークに住んでいたゾンゾンです!🫨

34stという、エンパイアステートビルからすぐのマンションに住んでいました。

前回の続きですが、私が出国前日本にいた時にエージェントに頼んで7ヶ月契約していました。

家賃がものすごく高く、しばらくしたら引っ越すつもりで、7ヶ月の契約でした。
(当時、1ヶ月で3000ドルでした。今のレートだと45万円ですね、びっくりです🫢)

部屋は劇狭です笑
キッチンは共用でしたが、かなり綺麗でひろかったです。
6畳ほどのワンルームにシャワールームがあるだけの部屋です。
これで3000ドル笑 さすがNYです…

ワンルーム
玄関直結です。笑
玄関扉の隣に小さいクローゼット
シャワールームはまあまあ広いです笑

日本でエージェントに頼んで契約した時に、部屋の延長希望なら、退去の2ヶ月前に伝えてくれと言われていましたがすっかり忘れていました。

退去の1ヶ月前になって延長しようとしたら、出て行くしかないと言われてしまい、1ヶ月で家を探す必要が出てきました…

今でもその絶望感を忘れません😂
自分の失敗ですがね笑笑笑

その時に、台湾人の友達A君と毎日遊んでいたのですが、
私は家探しもあるし、昇級テストも勉強が必要で、急に遊びを断るようになりました。

そしたら、A君が
「なにかあったの?大丈夫?」
と聞いてくれて、現状を話したら、
彼は笑いながら

「俺の家、2LDKだし、学校も近いんだからしばらく住んでいいよ!
急いで家探すより、ゆっくりテスト終わってから探せばいいじゃん!」

と言ってくれました。

僕が申し訳ないから大丈夫と伝えたら、

今度は真顔で

「友達が困ってる時に放っておけないし、
弟みたいに思ってるんだから、いいからとりあえずおれの家に引っ越してこい!
家賃はもちろんいらないし、普通におれも1人で住んでると寂しいしさ。
お前がきたらおれは嬉しいから」

と言いました。

僕は正直申し訳ない気持ちがすごく強かったですが、
あまりの感動で泣きそうになりました…

結局彼の家に引っ越して、ここから半年ほど彼の家で2人で住むことになります。

結局、私は何度も彼にお金を渡しましたが、彼は一度も受け取らず、それどころか私が好きなジュースやご飯、お菓子など住んでる間はよく奢ってくれました。

あまりに申し訳ないですが、私に返せるものはなかったので、家を出る日に手紙とお礼に少しですが現金を部屋に置いてきました。

僕は今でも彼と毎月電話していますし、日本に帰国後も彼に色々とEMSでプレゼントを送ったり、日本に招待したりしました。(もちろん、飛行機のチケットもプレゼントして、私の家に招待しました笑)

この時のことを一生忘れませんし、私が台湾という国を大好きになったきっかけです。

彼は本当に僕の人生で一番の親友です。
いままでもこれからも、ずっとそれは変わらないと思います。

ここまでしてもらっていたのに、日本に帰国後、彼が台湾に一時帰国する際、私に台湾に来るように連絡がきて、行ったら至れり尽くせりの対応をしてくれるような人です。

お互いに今でもなんでも相談できる親友ですし、彼のおかげで価値観がすごく変わりました。

外国人留学生はアメリカで家の契約がものすごくめんどくさく、親の所得明細とかの翻訳も必要になります。

一時期は本当にホームレス状態で、いろんなところを渡り歩くかと覚悟しましたが、彼のおかげでなんとかなりました。

この話は私も親に何回もしました笑

私の親もA君のことを大好きです
日本に招待したときも、私の親がすごく歓迎していました。
彼が日本に来た時には色々とプレゼントをしました🎁

親からみると留学前の私は無気力に見えたのかもしれません。
怪我をきっかけに、10年近く毎日必死に練習していた競技を急にやめてから、
たしかにずっとダラダラ生きていた気もします。

親はすごく心配してたと言っていました。
そのため、私にすごく良くしてくれたA君にすごく感謝しているみたいです。

2018年にNYから日本の我が家へきたA君
2019年、逆に私が台湾に遊びに行った時
2020年私が日本からNYの彼の家に遊びに
2023年、コ○ナ以降久しぶりに韓国で再会

次はどこで会うか楽しみにしてます😊


とにかく、ここから6ヶ月ほど彼の家に居候してとうとう彼の家を出る日がやってきます。

次回に続きます。

別れは突然に。
一年少し過ごしたNYを出て南米一周旅行へ向かう。

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