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とある喫茶店にて

「やっぱりこうやってホラーやってるとね、本当にやばいものにカチ当たるってことが偶にあるんだよね」

男は運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲んで言った。細いストローをかき混ぜるように2、3周させると、氷がグラスに当たって涼しげな音が響く。私は、まだ手のつけられていない手前のアイスコーヒーのグラスをチラッと見て、考えている。

「ほら、あんたも遠慮しないで飲みなよ」

私が飲むタイミングを伺っているのに気づいたのか、男が気を遣って勧めてくれた。

「ええ、すみません。いただきます」

そうしてやっと私はアイスコーヒーに手をつけた。男も自分の分のグラスを持ち、また1口飲む。カラン、と、氷の揺れる音。
私は汗をかいたコーヒーのグラスを置いて濡れた指をおしぼりで拭うと、カバンからタブレットを取り出す。

「それで、先日送って頂いた写真なんですが」

タブレットを操作し1枚の画像を全画面表示にして男に向けると、男はちょうど口にくわえた煙草に火をつけたところだった。

「そう、これね」

男は口から白い煙を吐きながら続ける。

「こういう心霊写真的なものに関してはさ、まあ俺も色々見たきたわけよ。でもほとんどは偽物だよね。上手く加工して作ったつもりでも、良く考えればわかる部分がいっぱい」

「そうなんですね」

「そうそう。別に霊感があるとかそういうのは関係なくてさ、簡単に見分けられるんだよ。まず、よく巷で心霊写真だ!って騒がれてるようなものって、大体集合写真に人の顔が写りこんでるとか、3人しか写っていないのに足の数が1人分多いだとか。そういうのばっかりでしょ」

「確かに。私もそういうのしか見たことないかもしれないです」

「だろ?テレビのホラー扱った番組とかでも似たようなのばっかなのよ。んで、ああいうのはほとんど全部偽物なのね。」

男はそこまで言うと煙草を一吸いした。火種のジジ、という小さな音。一方的に話していた男が一方的に黙りこくったせいで、気まずい沈黙が流れる。

「それは、なんで偽物って分かるんですか」

沈黙に耐えきれず口火を切ってしまった。……シーン。沈黙が続く。あれ?もしかしてタイミング変だった?と思いながら、恐る恐る男の顔に目をやる。
すると男は、少し俯いたまま上目遣いで私を見てニヤリと口角を上げた。

「怖いからだよ」

「怖い、から?」

男の予想外の返答に困惑して、思わず聞き返してしまう。男は、まるでそういうリアクションになるだろうな、というような表情でフッと笑った。

「まぁその反応が正しいわな。でも俺はふざけてるわけじゃないぜ。大真面目さ。要はね、さっき言ったようなエセ心霊写真に通じて言えることは、見た人を怖がらせるようにできてるってことなんだよ。」

「怖がらせる」

「そう。あるはずのものがなかったり、無いはずのものがあったり、そういう世の理に合ってないっていう単純な演出が使われてるんだ。例えば写真の中に偶然人の顔に見える箇所があったとして、それを幽霊だと言えば、それを見た人は幽霊が写った!って言って騒ぎ出す。ホラー番組でよくあるだろ?
人間は知的好奇心の生き物だが、未知のものに対しては興味を持つと同時に恐怖もする。怖いもの見たさってやつだな。即ち、幽霊っていうこの世のものではない何かが可視化されてしまった、その超常現象に対して恐怖と興味を感じてるわけだ。この一連の感情の働きが、俺たちがホラーを楽しんでるシステムそのものなんだよ」

「はぁ」

「ついてこれてねえな」

「すみません、なんとなく言ってることはわかるんですが、なぜ心霊写真が怖いと偽物なのかっていう理由がピンとこなくて」

「ああ、悪い。これは俺の話のまとめ方がダメだったな。いやいいんだ。うん、要は目に見えて怖いとわかるような心霊写真には、人知が働いてるってことだよ。人を怖がらせるっていう目的がはっきりしてるっていうのかな。でも本物の幽霊の目的は怖がらせるなんて軽いもんじゃないだろってさ」

「なるほど、なんとなくわかってきました。なんというか、、明らかに作り話な怪談を聞かされてる、って感じですかね?」

「そうそう!分かってるじゃんか。ああいうのってストーリーに因果がちゃんとしすぎてるんだよ。物語として起承転結がありすぎてるわけ」

「はいはい、だんだん分かってきましたよ」

「飲み込み早くていいねえ。だから、そういう見て怖い心霊写真は偽物なんだよ。じゃあ逆に本物の心霊写真はどんなのかって言うと」

そこまで言うと男はまた煙草を一吸いした。どうやらこの男には大事なことを言う前に煙草を吸う癖があるようだ。私もアイスコーヒーのストローを咥えると、ゆっくり一口飲み男が煙を吐き終えるまでの沈黙をやり過ごす。

「全然怖くねえんだよな」

私がアイスコーヒーを嚥下するのと同時に男が話し始めた。

「分かりやすく鬼の形相をした人の顔が写ったり、集合写真の組んだ腕が明らかに多いみたいなことは無くて、普通の写真に見えるんだよ。パッと見は」

「でもそれだと心霊写真じゃなくて普通の写真ってことになりませんか」

「違うんだよ。……言い方変えるか。本物の心霊写真つーのは、心霊が写ってる写真って言うよりも、写真自体が心霊みたいなもんなんだ。写真心霊って言った方が正しいかもしれない。写真自体が怪異なんだよ」

「はぁ」

「さっきも言ったけど、本物の怪異ってのは俺たちが楽しんでるエンターテインメントとしてのホラーみたいに甘いもんじゃなくて、人を怖がらせるとか中途半端な心残りだとかそんな理由で"いる"んじゃないんだ。もっと単純な、原始的なシステムで存在してるんだよ。成仏できなかった女の幽霊が心残りでこの世に留まってるみたいな、まあそういうのも中にゃあいるんだろうが、本当に恐ろしいもの達にあるのはそんないかにも人間的な理由じゃない。寧ろそれらにとって俺たちの世界の因果や法則は取るに足らないものでしかない」

「原始的、ですか」

「うーん、なんつうのかな。……超純粋な喜怒哀楽?
例えば日本の民俗信仰において、"神様"は完全に良い奴ってわけじゃないだろ?それがもたらす結果が人々にとって有益だったから、良い神様として崇められてる。逆に害を齎すものは厄災の神として、時には悪霊として畏怖されるだろ。でも結局ああいうのは、全部同じなんだよ。良い神様だって、キリスト教的な無償の愛でやってるんじゃないんだぜ。良い神様にとってそれは俺たちにとっての喜怒哀楽のようなもので、それらが存在する上で当たり前に仕掛けられているプログラムに過ぎない。同様に悪い神様だって、やってることがたまたま俺たちにとって厄災だったってだけだ。
最終、俺たちは結果論でしかそれらの善し悪しを決められない。だから、怪異には良いも悪いもない。ただそういう力がそこに存在するだけなんだ」

「……」

あまりに難解な話を聞かされてどんなリアクションを取ればいいのか分からず、私はまた黙りこくってしまう。

「はは。ちょっと難しいかな。でも説明するのも難しいんだよ、これ」

そうですね、と苦笑いすることしかできなかった。でも言いたいことは何となく伝わる。実在する怪異は心霊写真のように怖がらせることを目的としていない、例えば悪意を向けた者を呪うだとか見ただけの者を取り込むだとかよりもっとシンプル、ただ理不尽で害悪な"関わるだけでアウト"と言われるような、そういう存在たち。そして本物の心霊写真、もとい写真心霊は、そういう存在達が写真という器を伴って現実に形づけられているものということだ。多分。
男は煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、氷が半分近く溶けたアイスコーヒーを一気に飲み干した。私のアイスコーヒーはまだ3分の2以上残っている。

「そんでこの写真が本物のヤツね」

男がテーブルの中央に置いた私のタブレットを指で指した。

「さっき言った通り、よくある心霊写真は普通の写真に幽霊を写り込ませ、現実と非現実の境界をぼやけさせることでホラーを演出するものがほとんどだが、これに関しては写り込むというより、意図してそれを写してる。怖がらせるための細工は何も無い、ただ、幽霊を撮影しただけ。世にも珍しい幽霊の写真だ」

「……恐ろしいですね」

「幽霊を撮影する、なんてことがどうやってできたんだろうな。甚だ疑問だよ」

男はテーブルに肘をつきながらタブレットを睨んでいる。

「ちなみに本物の心霊写真って、どんな影響が」

「それはよく分からない」

男の食い気味な返答に少しばかり吃驚してしまう。この男の話の間はどうも難しい。

「言ったろ。ああいうのの性格ってのは至って単純だが俺達には理解できないほど複雑にできてるいるし、この世の理じゃ説明できないようなシステムで存在を保ってる。見たら呪われるのか?それとも死ぬのか?これはどこでいつ、誰に、なんの理由で撮られた写真なのか?写真の中の少女はなぜここまで体が湾曲しているのか?なぜ彼女は目を両手で覆い隠すような仕草をしているのか?」

男はタブレットを見るために俯いていた顔をゆっくりと上げた。

「なぜ、この写真が突然俺の元に届いたのか?」

私は男の喋りの迫力に気圧され、生唾をゴクリと飲み込む。

「だから、心霊写真という訳ですか」

男は再び、口角をニヤリとさせて笑った。


***

結局、あの写真について詳しいことは何も分からずじまいだった。男は私に心霊写真とは何か?ということについて長々と熱弁しただけで、最後まであの写真自体の話という最も重要な話は言わなかった。
あと、去り際に「その写真のデータだけどよ、削除しといてくれ。なんか、その子も俺に来て欲しいって言ってるみたいだからさ。俺が見られてた方がいいんだよ。じゃあよろしく」と言った。私は「分かりました」とだけ返事をして、フラフラと通りに消えていく男の背中に向かって頭を下げていた。もう二度と会うことはないであろう男の背中に向かって。

私はひとつため息をして片手に持ったタブレットを点けてみる。最初に男に見せた画像が入ったファイルをタスクバーから読み込んで、画像を出す。
真っ白いばかりで、何も写っていない写真。
男は最初から、ただ真っ白なだけのこの画像を私に送ってきていた。
彼がこの白の中に何を見たのかは、もう分からない。それが心霊写真であることは分かったが、どんな心霊写真だったのかは、もう分からない。
私は男の言う通りに画像をデータ内から削除すると、男が行ったのと反対方向に向かってフラフラと歩き出した。

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