美容院と母方の血

髪を切りに行った。先週の水曜日のこと。
最近は忙しいので、ようやっと取れた予約なのだけれど、その日にちょうど風邪を引いてしまった。
あなたの風邪はどこから?私は喉から。
まず朝起きて声が出なくなる。音を出すことが大好きで、喋りにしろ音楽にしろ、空気を振動させることが生業と言ってもいいくらいな私は、そうなってしまったことにしょぼしょぼする。
その日はさっさと耳鼻科に行ったのだが、お昼の時点で、16時から美容院の予定が入っていることに気づいていた。さてどうしようか。もうこれを逃すともう半年は髪を切れない。だが今病院に行ってきたばかりである。迷惑ではあるまいか。
15時まで考えていたものの、結局行くことにした。

そうしてさっぱりしてきた私をみて、母は「ばあばみたい」とのたまった。私が老けてると言いたいのかと軽口を返すと、「本当に、若造りしたばあばにそっくりよ」と言われた。
昔から「おばあちゃんによく似てるね」と言われる。そりゃ、隔世遺伝という言葉があるくらいなのだから似ているんだと思う。
母と祖母はそれなりに綺麗だ。身内贔屓なしで、綺麗で気の強い、美人と言われる類の人間だ。
それに比べて私はちゃらんぽらんの極みである。要領は悪いわ、根性はないわ、代々受け継いできた母方の美の遺伝子はほぼ残っておらず、ただ海辺の(母方の親戚は皆ことごとく田舎の海辺に住んでいる)漁師の陽気なあんぽんたんさが残ったのみである。それすらたまに消えてしまう。
だから、誰かに「おばあちゃんに似てるね」と言われると、安心するのだ。ちゃんと私は、この人たちの娘なのだと、認められた気がして。

現代社会に暮らす中で「お前を娘などとは認めない!」と叫ぶほど母は非常識ではないが、私には、いつも親に対する負い目がある。単純に、私が母の立場だったら私のことは絶対に育てきれないという点において、また3人姉弟の長女だというのに一番お金をかけてもらっているという点において、責任を感じている。
そんなもの、感じないでも母は許してくれると、ずるい私は知っている。でも、それに対する物事をよく考えてしまう私が、私の頭の中を罪悪感で埋め尽くしていく。
だから、似ていると言われると、無意識の底で安心するし、嬉しくなってしまうのだろう。

ところで、美容院では涙腺が弱いという話をしてきた。去年、年始のテレビ番組でやっていた箱根駅伝特集で号泣した話や、ディズニーランドのアトラクションで、子供の頃の記憶が蘇って大泣きした話などなど。
こんなに考えて思いつめていたら、私は母に似ていると言われるだけで泣いてしまうようになるかもしらん。それはごめんだ。考えるのをやめよう。

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