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縄文時代史上主義

ある時、縄文土器に感銘を受けて、土器を真似て作り始めた。
最初はどうゆう構造か気になって、必死に模写しようと試みた。

しかしとても早い段階で、土の面積は限られていて、そこに辻褄があうものは、意図しなくても勝手に決まることがわかった。

それが心地よくて、勝手に好き勝手にクネクネした装飾を繰り返す。
そうすると、すーっと自分がなくなって、ただ土に向かう人になる。
そうして出来上がったものを眺めて、ああ、こんなものが出てきたのか。とまた一つ新鮮な気持ちで眺める。
わたしにとって縄文は動作と感覚の賜物。

しかしたまに、縄文という言葉に反応した一定数の人が、
縄文時代は本当に素晴らしいよね。
争いが全くなかったんだよ!
本当はそうあるべきだよね!
今の世の中は間違った方向に進んでしまっている!
といったようなテンプレートを、自分の意見かのように言ってくる。

それに対して、そうですかぁ〜、ねぇ〜。とお茶を濁した返しを何度かした覚えがある。
もしかしたら少し、怪訝な表情をしていたかもしれない。
この前もそれで、まぁまぁ変な空気になったばかりである。

縄文土器を見れば見るほど、縄文人の思想や観念に興味が湧き、それらに関する本はいろいろと読んでみた。
残っているものはどれも、強い思想や必要性を感じるし、なによりとても美しい。
それでも、縄文時代万歳!と特に感じない自分がいた。

縄文時代に争いがなかったと言われるのは、今まで発見された縄文人の骨に、外傷が見られるものがほとんどない。という考古学的な根拠に基づいたものである。

しかし、骨に傷の残らない原始的な殺し方なんて無数にあるわけだし、組織的な争いや戦争はなかったとしても、個人的な小競り合いとかはあったんじゃないかと思ってやまない。

もしかしたら、その当時は気候の変動や天変地異も激しく、医療も発達していなかったことから、みな生きることに必死で、人間同士で小競り合っている場合ではない!といった状況だったのではないだろうか。

生徒が荒れている学校は、先生同士の結束力が高いみたいな。
人間のレベルは対して変わらなくて、環境による結果論でしかないのではないかと。
非常に感覚的だけと、そうゆう思いしかなかった。

なので、今の時代と縄文時代を比べて、縄文の方がより崇高な暮らしをしていると言い切ることが、なんだか違和感というか、言っている意味がよくわらないなぁ。といつも感じていた。

そんな違和感を抱えつつ、実際、今より平和な時代だったのは確かっぽいんだから、縄文的なフォルムをやっている以上、縄文時代史上主義の方が都合が良いのではないか?と混乱する時さえあった。

そんなとき、岡本太郎の仕事論を読み、ああ、やっぱりこの違和感は間違ってなかったと、一瞬、今までのことが腑に落ちた感覚になった。

岡本太郎の沖縄文化論には、
われわれは法隆寺を誇り、仏像・仏画を誇る。だがこれらはむしろ、古代中国の文化遺産ではないか。果たして、そうゆう寺や仏像に、われわれは神経の末端まで納得しているかどうか。
それを価値として、評価し、関心している。また、自分にない力だこらこそ憧れる。それを何か己れの情熱、生活感動の底に流れているものと、とりちがえてしまってはいないだろうか。
と記載されている。

また、岡本太郎の縄文土器論には、権威ある学説や考古学の常識は一切出てこず、自分の足で取材し、自分の目で見、感じたことだけを述べている。と書かれていた。

この、学説や常識、また多くの人が賞賛したり同意することに、自分自身は神経の末端まで納得しているのか。という内容に、ああ、そうか。とうなづいた。

どっちが正しいとか、どっちが良い悪いは関係なくて、
わたしはこう感じている。
そこに神経の末端まで納得してない。
という感覚そのものが大切なんだと。

そう思うと逆に、縄文時代史上主義!とかキャッチコピーにしてもいいなぁと思ったりして落ち着いた。
そんな少し長いはなし。

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