うちのこ。名前は「ぐー」

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2006年1月8日 ちいさな怪獣が我が家にやってきた。JRTの男の子、生まれて三ヶ月ちょっとの小さな、小さな宝物を受け取ったわたしは「いぬを飼う」知識や経験はゼロに等しい。ただ、捨てられていた仔猫を育てた経験はある。二度だ。

一匹は母が持ち帰ってきた。いいんだ、と思ったわたしも一匹持ち帰った。このこ達も最後まで看取った。心強いのは、夫がいぬのいる家庭で育ったことだ。

犬との接し方。散歩のルール。おやつのあげかた。とりわけ散歩時の歩き方には厳しいものがあった。左に歩かせる。リードは短く持つ。びょーーんと伸びるリードはだめ。飼い主より先にびょーーんと前へ歩いてる犬を見ると「あかん。」と呟いてた。小さい時にいろいろ教えると、ちゃんと覚えるらしい。

「ぐー」は小さい身体で、飼い主の左横につき、ちょこちょこ歩いていた。この子の中で夫が一番の存在だったのだ。家長がわかるんだと思う。人間の赤ちゃんは弱い存在だとわかるから、がちゃがちゃ触られても怒らないのだ。

賢いんだな、いぬって。

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朝の散歩は夫が担当。夕方はわたし。夜の散歩は三人で。春も夏も、秋も、寒がり三人の苦手な冬も。いつも、いつも一緒だった。

それから生活スタイルが変わり、夫は月の半分は東京になった。そうして「ぐー」とわたしの珍道中な毎日を過ごすこととなる。一歳ほどになる頃には、リードを外し自由に散歩させることができるようになっていた。公園に着いたらリードを外す。「ぐーー、おいでーー。」と言うと戻ってくるのだ。これは夫が覚えさせたルールだった。口笛を吹くと戻ってくるのだ。口笛を、どうやっても音が出ないわたしは、呼ぶしかない。叫ぶ。ちゃんと戻ってきたら大好きな「いぬのおやつ」を少し差し上げる。これで覚えたに違いない。

おて、おすわり、ふせ。きびきびと、さっさとやってのけた。玄関先で、「あ、リード忘れた!ぐー持ってきてーー」「あ、首輪がない!ぐー持ってきてーー」というとリビングから咥えて持ってくる。なんと、なんと賢い犬なのかと親バカになっていた。

いくつかの言葉は理解していた。おやつ。ごはんよ。お風呂入ろっか。寝るよー。行くよー。帰るよー。呼んできてー。他にもきっとわたし達の会話の中にも理解していた言葉があるのかもしれないな。少なくとも人間の感情は読み取れる生きものだと知る。飼い主の表情から、嬉しそうだな。楽しいみたい。悲しいことでもあったのかな。おこってる?と感情遺伝する純粋ないきものだ。

飼い主が楽しそうにしていると、いぬ自身も楽しいんだ。そういうこと、犬との生活から学んだ。大切なこと。日中ひとりでお留守番してくれていた。寂しがり屋さんは、この積み重ねで形成されてしまったのかな。人間の時間軸と犬のそれは大きく異なる。1時間ほどは犬にとっては8時間ほどにも感じる時間軸だと知った時はショックだった。寂しい思いさせていたね。ごめんね。「ただいまーー!」と元気よくドアを開けると、もう足元にいた。全力で短い尾を振り身体をくねくねさせながら「おかえりーー!」と元気よく出迎えてくれていた。「お留守番、ありがとね」

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いぬのオナラを聞いたことがあるでしょうか。

びっくりです。猫のそれは聞いたことがなかった。ある時、横で寝そべっている我が家の「ぐー」が、ぷっっ! 、プッと音を出したのです。まさか、いや、いぬがオナラって。と思うわたしの横で「ぐー」は自分のお尻を臭いたいあまり、くるくると回ってる。でどこはそこか。そこだったのね、やっぱり。そして確認作業が終わると、大きくため息をついた。そんな、そんなに落ち込まなくていいよ。声をかけるわたしも、大概おかしい。可笑しくてよかった。

ぐーの写真ばかりで困ってる。困ってはいない、空虚感と幸福感が同居してるだけだ。

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#いぬ #犬との生活 #思考整理 #いま 、わたしが思うこと #エッセイ



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