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哲学に興味を持っている若い人へ この一冊で満足できます「反哲学入門」

『反哲学入門』 著 木田元 新潮文庫

ケンドーコバヤシ曰く、「若いうちから哲学に興味があるというヤツは危ない」(哲学好きをアピールしていたAKBのメンバーのことについて言っていました)
という主張には全面的に賛成できます。自分もそうだったから。高校生のときの倫理が好きで、そこから哲学に興味を持ち始め、興味程度ならいいですが、大学でも哲学を学びたいなどというヤツはまちがいなくヤバイ。というか、精神的に不安定なのですね。自分の心の不安を解消したい、世界の見方について何かしらの答えが欲しいという思いが哲学に向かう動機のような気がしますが、哲学は自身の個人的な悩み解消には、ほぼ無関係だと思います。

それどころか、この本の著者、木田元は本の中で断言します。「私はどうも「哲学」というものを肯定的なものとして受け取ることができないのです。社会生活では何の役にもたたない。・・・・・人に哲学をすすめるなど麻薬をすすめるのに等しい・・「子どものための哲学」なんてとんでもない話です。」

しかしこの本「反哲学入門」は本当に名著です。私自身、ぼんやりと哲学に興味はあり大学時代に哲学の授業も一つか二つは取りました。ときどき西洋哲学の本など図書館でを借りてみては、最後まで読むことなどできず・・・
この本を購入し読み切ったのは20代も終わりの頃だったと思いますが、この本ほど自分の哲学に対する知的好奇心を満たしてくれたものはありませんでした。何か所も線を引いては読み、もう哲学本は十分だと思いました。今後西洋哲学に関する本を手にすることはないと思います。この本を読みなおすことは何回かあると思われますが。
タイトルの「反哲学」という言葉だけにひっかかり、自分が興味あるのは哲学であって「反哲学」なんて変化球は自分無関係だろうと学生時代に手に取って読まなかったことが悔やまれます。

では本の紹介を
 『反哲学入門』
 第一章 哲学は欧米人だけの思考法である
 第二章 古代ギリシアで起こったこと
 第三章 哲学とキリスト教の深い関係
 第四章 近代哲学の展開
 第五章 「反哲学」の誕生
 第六章 ハイデガーの二十世紀
 
章立てからわかるように、本書は西洋哲学史を古代から語ってくれています。タイトルの反哲学の話は第五章からです。正直、第五章、第六章は自分の興味が薄く、そこまで入り込んで読むことはできませんでした。
第一章から第四章までで大満足です。ちなみに五章以降はニーチェ以降の時代の話です。
第一章と第三章のタイトルだけで、きわめて重要なことを言っていると思います。哲学は欧米の思考法ということ、キリスト教があったからこその哲学ということを、私を含め哲学初心者はうっかり忘れてしまっています。

この本は編集者がインタビューする形で行われ、著者答えたことを原稿に起こした語り起こしです。養老孟司の「バカの壁」と同じですね。
だからこそ、初心者にとっては非常にわかりやすくざっくりした大枠をつかむことができます。
文庫版の三浦雅史氏の解説も大変わかりやすくすばらしいこの本の紹介になっています。

著者の木田元さんは哲学の教授だったわけですが、西洋哲学の研究とは要するに、西洋の哲学書をひたすら原書で読むということなんですね。ラテン語だったりドイツ語だったりを駆使してひたすら読む。その中で、日本語にない言葉をどのように表現するのか苦心しながら翻訳をしていたりするわけです。僕たち読者はそうした著者の何十年の凄まじい蓄積の上澄みを見せてもらっている。

木田さんの専門やこれまでの著作から「反哲学入門」というタイトルなわけですが、「反哲学」という言葉はメインのタイトルに入れないほうが、哲学入門書、あるいは西洋哲学史概論として有名な本になったかもしれないなとも思います。(じゃあどんなタイトルならヒットしたんだと言われると答えに窮するところですが)

「若い時に哲学に惹かれるのは、哲学に似た何かを求めているのであって、多くの場合、哲学そのものを欲しているわけではない」というようなことを中島義道氏が何かの本で言っていましたが、自分の哲学に対する関心、哲学を欲してた心はこの程度だったんだな(と後から気が付く)とこの本を読んで納得がいきました。あきらめや、こんなもんかといったがっかり気分ではなく、ここまで哲学について学べたことの喜び、十分だ、満足だという「哲学からの卒業」を与えてくれた本でした。

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