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高円寺阿波踊り

用事を済ませ、商店街の狭い道を早足で歩く。

すれ違う人たちも、今日はいつもとすこし様子が違う。ビールのロング缶を片手に浴衣でそぞろ歩くカップルや、パンフレットらしきものを持ってキョロキョロしながら足を止める人もいる。

太鼓や笛の音がする。遠くの方から時々沸き立つように聞こえるのは、きっとお客さんの歓声だ。お祭りは近い。

徐々に人の数が増えていく。狭い道いっぱいの人だかりをかき分けるようにして進む。みんな足を止めてじっと踊りを見ている。スマートフォンを高く掲げ、一生懸命写真や動画を撮っている人たちもいる。もうすぐ僕もその中に加わるつもりだ。

4年ぶりに見るお祭りが、いま目の前に姿を表した。掛け声はますます大きくなった。

「高円寺阿波踊り」は、毎年8月最後の土日2日間で行われる。

JR中央線・高円寺駅を中心に広がる計8箇所の会場を、合計1万人という踊り手たちが「連(チーム)」ごとに踊り歩く。期間中の来場者は毎年100万人近い数字らしい。

踊り手たちもまたさまざまだ。地元・高円寺を拠点にする団体だけでなく、都内や関東近郊、そして本場・徳島から招待された踊り手たちも参加する。それ以外にも企業の有志チームや、外国人をメインに結成されたチームもあって、この街らしくおおらかで何でもありな雰囲気がいい。

会場といっても、別に大きな特設のステージがあるわけではない。商店街や大通りを通行止めにして、その道を踊り手たちが演舞を披露しながらゆっくりと進み、いくつもの会場を回っていく。沿道にはたくさんのお客さんがいて、地面に座ったり後ろの方に立ったりしてその様子を眺めている。

特別な場所ではなく、いつもの道がそのままお祭り会場に変身する。ちょっと足を伸ばせば目の前で楽しいことが始まっている。そんな気軽さも、きっとこのイベントの魅力のひとつなのだろう。

はじめてこの阿波踊りを観戦したのは5年前。お祭り自体の高揚感、踊り手そして観客の熱狂が一体となったさまに衝撃を受け、すごいものを見てしまったという興奮をいまでも覚えている。

しかしこの街は、もうすでに60年以上そんな夏を繰り返しているのだ。親子3世代で見に来る人たちだって珍しくない。地元商店街のまちおこしとして始まったというこのお祭りも、今ではすっかり東京の夏を代表するお祭りになったのかもしれない。

感染症の影響で、2020年から2022年の3年間は屋外での踊りが開催されなかった。「夏の風物詩」がなくなってしまったような少し寂しい時期を乗り越えて、いまこうして4年ぶりにお祭りが街に帰ってきた。太鼓や笛、そして踊り手の盛大な掛け声もまた戻ってきた。

何年も付き合いのある高円寺の仲間たちと一緒に、4年ぶりの今回もお祭りを見ることになった。

僕たちが見るのは毎回いつも同じ会場だ。道路が狭く、踊り手と観客の距離が近い。歩道が設けられているので、ブルーシートを敷いたりして和気あいあいと座って見る人たちもいる。

阿波踊り(野外演舞)は、夕方5時から夜8時の間で開催された。踊り手や演奏者たちがひっきりなしにやってくる。連(チーム)ごとに個性があって、あの連は太鼓の迫力がすごいとか、あの連は踊りが優雅できれいだとか、素人ながらにもその違いがわかってたのしい。

有料の観覧席や、もっと広い会場もあるけれど、僕らが見る場所は地元の人たちがギュッと集まっている場所なのか、その分盛り上がりも大きい。ひいきの「連」にひときわ大きな掛け声をかけたり、手が真っ赤に腫れ上がりそうなくらい、手拍子を繰り返す人たちもたくさんいて、よりいっそう熱気と歓声が増すことになる。

「踊る阿呆に見る阿呆」という、古くから阿波踊りに伝わる言葉があるけれど、少なくとも高円寺のこの会場では、見る人たちもしっかりと「阿呆」になれていたのかもしれない。

気がつけば、あっという間に時間が過ぎ去っていた。

東京郊外の住宅地で育ち、「地元のお祭り」というものをはっきりと持たなかった僕にとって、この高円寺で見る阿波踊りは、それに最も近いものなのかもしれない。街全体が一つのお祭りに向けて、少しずつ一体感を強めていく様子、そして何より街全体で盛り上げようとする様子が、見ていてとても楽しく心地よい。

そしてまた、お祭りに観客として「参加する」ことの魅力を、僕はこの高円寺の阿波踊りで学んだような気がする。

すました顔で、遠くから冷静に眺めるのではなく、しっかりと輪の中に入って踊り手たちにも劣らない熱量をもって応援する。掛け声や拍手を使いながら、観客として演者の気迫に近づこうとすることで、そこに熱狂の相乗効果が生まれる。そうしたサイクルこそ、きっとこのお祭りの面白さを形作るうえで最も大切なことだ。

ふだんは内向的でどちらかといえば静かな空間が好きな僕だけど、阿波踊りの夜に聞こえてくる歓声や熱狂は、間違いなく僕の心を沸き立たせてくれた。達成感も相まってとてもいい気分になった。

お祭りが終わっても、その熱気はいまも静かに僕の心に残っている。この原稿を書きながら、少しずつ気持ちが高揚してくるのを感じる。もしかすると、いつもよりちょっとだけキーボードを叩く音が強いかもしれない。

心のなかに耳を澄ませてみれば、笛や太鼓、そして踊り手たちの「ヤットサー」という掛け声が、かすかながら聞こえてくるような気がするのだ。

夏の終わりの楽しい夜が、今年も終わった。

来年がますます楽しみになった。


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