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Beef or Chicken?

飛行機で機内食が出てくるときの「決り文句」になっているこの言葉だけど、ぼくの乏しい経験やイメージで考えると、このセリフの登場回数というのは想像していたほど多くなかった気がする。

「和食か洋食か」と聞かれたことも多いし、あるいはこちらに何の選択の余地もない場面だってある。だいたいそういう時は、さえない色をしたプラスチックのお盆の上に、味のないロールパンとマカロニグラタンあたりが乗っかっている。マカロニは美味しいから好きだけど。

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それはともかく、こうした機内食の場面もふくめて、どこか旅に出る際に日常生活と比べて明らかに増えるのが「何かを選ぶ」場面ではないだろうか。

ぼく自身もそうだけど、多くの人は毎日の生活に自分なりのルーティーンを設定し、ある程度自動化された意思決定をこなしている。人によっては毎日の朝ごはんを同じメニューにしている人もいるだろうし、同じ服をいくつか買っておいて、何日か着回せるようにするという話だって珍しくはない。

意思決定を自動化することは悪いことではなくて、むしろ複雑でややこしいこの「現代社会」を生き抜いていくには必要なテクニックだ。ところで「現代社会」って書くと、ずいぶんと文章が高尚に見えてくるな。

それこそ食事についていえば、仕事や生活など他にも考えるべきことがたくさんあるのに、1日3食、7日間すべて違うメニューを選んで食べるというのは、よほど意識的に生きていないと難しい。うっかりしていると、毎日牛丼のつゆだく大盛りを食べることになってしまう。

いくら好きなことを毎日できているとしても、「さほど好きではないこと」にまで常に意識を向けるほど、ぼくたちは利口にできていない。だからこだわりのある部分はともかく、それ以外の些末で重要ではないことにはあまりエネルギーを使わなくていいように、ある程度のマイルールを決めて無意識的にそれに従うという自動化が成立している、と考えれば自然だろうか。

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それと比べて、旅先というのは、ある意味でその「オートメーション」が成立しなくなる場所なのかもしれない。

いつどこへ行くか、どうやって行くか、何を食べるか、どこに泊まるか。ふだん生活している環境から離れるほど、パターン化された日常のノウハウは通用しなくなってくる。それはすなわち全てをその都度判断する、ということだ。

ここまで読んでわかるように、ぼくは旅が好きな人間だけど、そんな「旅」のどんなところに魅力を感じるかと考えた時、「あらゆる物事を選べるという感覚を取り戻せる」ことも、その答えの一つになる。

それは事前にホテルを予約して、乗る列車やバスをすべて決めておいて、、、という決まりきった「旅行」とはちょっと違う話で、その日の自分が持っているだろう瞬発力に期待しながら、あえて多くを決めずに目的地へ向かってしまおうという旅のスタイルがもたらしてくれるもの。

特にぼくのように、大してものを考えずに今日まで生きてしまった人間にとっては、身の回りのあらゆる判断を瞬時に下す必要があるという意味で、旅はいいトレーニングになる。もちろん仕事もそうした訓練の場になりうるんだけど、旅は結果の全てが100%自分へ返ってくるので、いろいろとわかりやすい。

インフラが整備されていない地域へ行くほど、少しの判断ミスが想像以上の不便をもたらしてくれる。もう一日さっきの街に泊まっていればよかった、お金をケチらずにいい席に乗っておけばよかった、とか。たとえ旅先で大失敗したとしても、多くの場合は仕事を失うわけでもなく、明日から生活できなくなるわけではないので、わりと気軽にトライできるのもいいところかもしれない。

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旅は多くのことを教えてくれる、と古今東西さまざまな偉人が語ってきたのは、つまるところ、そうした意思決定の修練の場であるという意味も込められているのだと思う。

できるかぎり自分に決定権がある状況で、ある程度の瞬発力を持っていろいろなことを決めていく。もちろんどれを選んでもよかったと思える瞬間は来るし、後悔する場面だってやってくるのだけど、何よりも自分で選んだという過程そのものが、ぼくらに勇気を与えてくれるのかもしれない。

お昼ごはんのメニューさえ、スッと満足に決めきれない自分がこんなことを書くのも恥ずかしいなと思いつつ、「決めない旅」をまたしてみたいなと思う今日このごろです。

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