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数十年ぶりに葬儀を経験して思ったこと。この先喪主になるかもしれない人に読んでほしい

今まで数十年生きてきて、家族の見送り(葬儀)を数回経験ている。

それがこの度、数十年ぶりに見送りを行った際に、これまでと違ったこと思うことがあったのでnoteに書きたいと思う。

私の葬儀体験は以下の通り。
幼少期、隣りに住んでいた曽祖父の葬儀に初めて参列する。一連の儀式を幼心に衝撃を受ける。と同時に親戚の子どもたちが集まって遊んでもらったりして、(不謹慎ながら)楽しかったのを覚えている。

小学生、父が突然の他界。まだ若かったこともあり、葬儀のための準備や終活なども一切行っていない状態。母や、祖父母たちが慌ただしく準備する様子をただただ見ているだけ。
ただ、このときは葬儀は檀家になっているお寺で執り行ったのは印象に残っている。この時分はまだ自宅でお通夜やお葬式をやるところが多かったので、家でなくお寺に通ったのはこれまでと違うんだと感じた。

金額的なことはもちろん覚えていないし、式次第もあまり覚えていないが、まだ若い父が他界したこと、残された私たち家族に対して、(特に私に対して)周囲の人たちが本当に悲しんで、心配してくれていた。ただ私自身は実感があまりわかず、この先の苦労などもあまり感じてはいなかった。

それから、祖父母や叔父、そして親しい友人とも、これまでの人生には悲しい別れがたくさんあった。

別れの悲しみは多くあったが、送る側の視点からすると、自分の中で一番満足した葬儀だと思えるのは祖父の葬儀である。




祖父を見送るまでの流れ

祖父は80歳で亡くなったが、病気もほとんどせずとても元気な人だった。
先に亡くなった祖母を見送ったあとは、趣味に自由に生きた人だった。
あっけない最期だったので、私たち家族も心の準備などはなかった。

自宅で亡くなった祖父

祖父は家に帰ってきた後、心臓発作で亡くなっていたため、警察が事情聴取に来た。
病院以外で亡くなっていると、警察は事件性の有無を確かめるため、現場へやってくる。
かかりつけ医もいなかったのでこういうケースでは常に事件性を疑われる。
第一発見者だったため、私は警察に質問を受けることになった。
当然のことながら、特に問題もなく、そのまま葬儀の手配に入る。

互助会かどうか

葬儀費用の積み立てとして互助会という仕組みがある。
この時は互助会を使わず、地元の葬儀屋さんに依頼した。

場所の問題
土地柄、セレモニーホールなどがある場所でもないので、どこで実施するのかが一番の問題だった。
このころは自宅ではなく、お寺で行うことが一般的だったが、檀家になっているお寺がちょうど改装中で使えない状況だった。
この時、葬儀屋さんが手配してくれたところが地元の集会所(会議室)でした。
これらは区民なら借りられるのですが、葬儀などの突発的な利用の場合はたとえ予約が入っていても優先に借りられるとのことでした。
このルールは葬儀屋さんなど常に利用していないと知らない事情でした。

関西と関東の違い
私は関東式の葬儀しか出たことなかったのだが、親戚の中に関西の人がいて、その人から申し出がありました。
「留め焼香するの?」
留め焼香という初めて聞く言葉、これはこのような意味がありました。

関西地方を中心とした西日本のご葬儀では「留め焼香(止め焼香)」という習慣があります。 これは、兄弟姉妹など、故人様にとって血縁の濃い人が、あえて最後に焼香を行なう方法です。 留め焼香には、ご親族や参列者に焼香の順番に不備があったとしても、納得してもらうという意味合いや、「不幸を止める」という意味合いが含まれています。

平安祭典ホームページより

こういった役割を誰に頼むか、そこも親戚づきあいの中で難しいところ。頼みやすい立場の人を味方につけておくとスムーズに進みます。

しかし我が家は関西ではないので、当然のことながらこの風習はありませんでした。

どちらに座る
葬儀、告別式の時に祭壇に向かって左に座るのか、右にすわるのか、意外とわからないことかもしれません。
右側に故人に近い親族、左側に遠い親族になります。たとえば故人の友人などは左側にすわるのが礼儀となります。

プランナーの腕
地元の葬儀屋さんに手配をお願いしたので、そこのスタッフの方が祖父の葬儀も担当してくれました。
その時のプランナーさんが本当にすご腕で、円滑に式が進んだことが記憶しています。
場所の問題の他、お清めで出す食事の量の見積もり、返礼品、式次第や葬儀でお金をかけるべきところなどを適切にアドバイスしてくれました。
おかげでほとんど迷うことなく円滑に進みました。

納棺の儀
祖父の葬儀で印象に残っているのは初めて体験した納棺の儀。
祖父は自宅で亡くなったため、斎場へ行くまでは自宅で安置されていました。そのため、納棺の儀も自宅でそのまま行われました。
納棺の儀はその名の通り、故人を棺の中に納めること。天へ旅だつお仕度をしてあげて、棺に入れてあげます。
女性ならお化粧を施し、着せてあげたい衣類や持たせてあげたいものも用意してあげて棺に入れてあげます。その際に、家族や親族など付き添いの人たちが、両手両足をさせえてあげて、皆でい棺に入れてあげます。

この時のこと、とても印象に残っているのは、納棺の儀という体験が初めてだったこともありますが、プランナーさんの声が聞きやすく、説明がとても丁寧だったので、迷いなく送り出してあげられると思えたのでした。

葬儀の規模
故人が現役世代だったのか、高齢者だったのかなどによって、弔問される方の人数には違いが出てきます。故人の交友範囲によっても変わります。
斎場の広さやお清めの料理の量などを故人の人となりから判断するのもプランナーの仕事。
また臨機応変にその時の天候などを考慮して準備する量を調整できるのもプランナーの腕次第。
当日、喪主や家族はそれなりに忙しいため、弔問者への気遣いや配慮ができる人であってもらいたいところ。


火葬場での人数の調整、車の手配、待機中の持ち物など(お茶菓子等)の指示、全く抜かりない!

とにかくコーディネーターさんのスムーズな運営にただただ感謝した祖父の葬儀でした。

葬儀が終わった後、一人暮らしの祖父の家を片付けしていた時。
実は祖父が地元の信用金庫から借金をしていたことが判明。

生活費が困っていたわけではないが、祖父の趣味を円滑に進めるためには必要なお金だったらしい。無職の高齢者に担保なしでお金貸してしまう地元の信金もどうかと思ったが)

一人暮らしの祖父の生活、見えない部分をかいまみたような一場面であったった。

義理祖母の葬儀

それから時はたって、結婚し、配偶者の祖母の葬儀に参列することになった。
配偶者は地方の出身者だったので、当然祖母の葬儀も地方で行われた。
実は地方の葬儀に出ることは生まれて初めてだった私。
そこで東京とは全く異なった葬儀の形があることを知るのだった。

今では珍しい、自宅での葬儀。大きな畳の広間に祭壇を構え、そして親戚や近所の人たちの集まり、お清めのお料理を女性たちが準備しふるまう。

祖母にとってのお嫁さんたちは、(私の義理の母も含まれる)みな通夜には参列せずひたすら準備。女性は家を切り盛りするという昔ながらの風景をかいまみた。

宗派によって違うのだろうが、式次第も東京とは違っていて、告別式の朝、一番に出棺してしまい、葬儀と告別式は火葬場で荼毘に付せられてから、遺骨になった状態で行うところもとても驚いた。最後のお別れの儀はあっさりと進んでしまっていたから


数年ぶりの義理母の葬儀

そして今回、また数年ぶりに葬儀があった。今度は義理の母という、初めて自分たちが送り出す立場になる葬儀。

義理の母は生前、家族葬にしてほしいと言っていた。でも葬儀の際には伝えてほしいリストも用意されていた。

家族葬にすれば、身内だけで済ませ、終わってから案内を出す。その場合はお友達や遠い親戚は参列せずに終わってしまう。
一般葬にするとそれなりの規模で準備が必要となる。

故人の思いをなるべく反映させながら、予算との兼ね合いでできるだけのことをしてあげたい、そのバランスが難しいのだと実感した。

互助会入ってはいたけれど。。。
母は互助会に加入していたため積み立てされていた。母の加入していたシステムはいわゆる「互助会パック」のような、選択できるパックが一式になっているようなものであった。ある程度まとまった金額が積み立てられており、その中でいろいろ選択できるので助かるのではあるが、加入、積み立てしていた時期が20年以上前だったため、そのパック内容が現代に置き換えるとほとんど不十分’(と葬儀会社の担当者が言っていた)ため、結局のところ追加料金を取られている。

それが思っていたよりも高額で、互助会に入っていたことがメリットがあったのかどうかは正直わからないと感じた。
例えば加入当時は遺影は白黒写真だったが、現代ではカラー写真となっている。カラーにするためには差額料金が必要。(これが数万円)

棺や上にかける絹もベーシックなものが標準で、ふつうは大体こちらを選びす、という感じで差額分の高いもの。

葬儀は一度しか使わないのにどんどん差額料金がかさんでいく。

自分の祖父母や父の葬儀の時は金銭的なことは何一つ考えることがなかったので、思う存分盛大に送り出してあげたいと感じていたが、
自分が送り出す立場になったときには、故人の要望は、送り出す側で準備できている費用(故人が用意してくれていればよいが)に依存するものなのだと感じた。

溢れ出るお墓の問題

生前、義理両親は墓地を購入していた。きっと子供たちに迷惑かけず、自分たちで用意しておいてあげよう、という配慮だったと思う。

だが、実際そういうことに直面したとき、お墓のありかが重くのしかかることに気が付いた。
義理母が亡くなり、残った義理父も高齢で、購入していた墓地はとても交通の便が悪く、一人で行けるところではなかった。
墓地の区画の購入なので、実際に墓石の用意はこれから。建立しても、あそこでは誰も行けなくなってしまう。
ほぼ誰も行けないようなお墓をこれから100万かけて建てるものなのか?
さらに、自分たちはそこに入る予定はないのにどうするのか?
子供たちに墓守させるのか?
建てると決心するには本当にいろいろと言い聞かせて自分自身を納得させる必要があった。

結局

葬儀はその土地土地で様々なしきたりがある。それは葬儀の瞬間だけでなく、今までそこで生活してきた中で、当たり前と思っていることが実はその土地の風習だったりするので、本人たちが当然のようにこうしたい、と思っていることは、生活を共にしていない外部の人間にとっては思ってもみなかったということもある。

とくに高齢の親や祖父母の希望は、こちらでは費用がかさみ実現できないこともありえるので、やはり日ごろからどういう思いがあるのかは共有できるようにしておくべきなのだと感じた。

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