軍隊とフェミニズム~置き去りにされる女性兵士という存在~
本稿の目的、課題意識は社会一般に男女同権とフェミニズムが認知されて
いる中で女性と軍隊の問題だけが忘れ去られているという点から出発する。
また、本稿では徴兵を前提とせず、フェミニズムに対する「女性も男性と同等に軍隊に立つべきだ」というアンフェア視点の議論をするものではない。
筋立てとして現在の軍人という職業が男女問わず開かれたものであることを述べる。その上でよく指摘される男女というジェンダーではなく生物的性差から軍は女性が参画するべきではないという主張へ反証を提示する。軍人という職業は男女ともに参画している職業であるという前提のもとに昨今話題になっている女性自衛官のセクハラ問題や軍という空間でのフェミニズムを考える。そして最後にマイノリティや女性が軍事に包摂されていく事への懸念と留保を述べ、個人的な結論として結ぶ。更に保険のような形になるが私はこの分野への知見が薄くきわめて、初歩的な探検中であり模索の中での一区切りの考えであることを書き添える。
導入にあるエピソードを読んでいただきたい。
で、戦地ではたくさんの男と寝たんでしょ
これは紹介するまでもない名著『戦争は女の顔をしていない』のあらすじである。続けて本書の下記の記述を読んでいただきたい。
私が本稿を記載しようと考えたきっかけの一節である。独ソ戦では100万人もの女性が兵士として戦った。しかし、戦後多くの女性は口を紡ぎ忘れ去られた存在となった。これは上記のような差別があったからだ。ドイツから勝ち取った栄光ある勝利から零れ落ちただけでなく、少なくない女性兵士が社会からも零れ落ちてしまった。これはなぜだろうか。戦争は男のものだけであって、女性は本来参加するべきでない空間なのだろうか。現在でも果たして軍隊は男たちだけのものなのだろうか。
軍人は男女に開かれた職業
前述の問に対して回答するとそれは否である。戦後女性軍人の役割は拡大を続け制度上は性別を理由に配置を制限することはまれになってきている。例えば一般婦人自衛官制度の発足は、昭和四十三年三月二十七日の第一回公募幹部の入隊に始まり、(資料としては自衛隊年鑑 1969年版から記載が存在する)当初は総務・人事といったきわめて限定的な職種にとどまっていた。しかし、現在では戦闘機パイロットや潜水艦などきわめて広範囲に女性自衛官は配置されている。更に米国では2015年よりすべての戦闘任務参加が全面的に解禁されている。またイスラエルでは徴兵制が採用されているが、これは男性だけでなく女性も徴兵義務が存在する。日本や世界の事例をとっても明らかに軍隊で女性が役割を男性と同等に果たしているのは事実である。
だって、男の人は体格的に強いでしょ?
よく軍隊と女性の問題を考える際に掲題のように体格的な問題、生物学的に「男性は女性に比べて強く、女性は戦闘に対処することができない。よって女性と軍隊を絡めるのは不適切である。」とする意見がある。確かに近接格闘を行う際に体格差は大きく影響する要素だろう。ボクシングでは階級差によって分けられている。現代戦でも近接格闘の重要性を説く研究も存在する。₁しかし、男性だけの部隊と男女混合部隊にパフォーマンスの差はなく、むしろ後者の方が効率が良いとする調査結果もあるようだ。₂そもそもこのような体格や力の問題に関してはテクノロジーによって、徐々に縮小される傾向にある。例えば、戦闘機の操縦時加速度が高いと高負荷がかかりこれを制御するには、かなりの筋肉を使用しなくてはならない。しかしながら対Gスーツなどによって男性と同等のパフォーマンスを発揮することができることがわかっている。³以上のように女性という性別のみで軍から排除するにはあまりにも小さすぎる性差である。そもそも体格差を考慮して、とある職業から特定の性別を排除することが可能になれば、建築土木や警察官といったある程度肉体労働、体格といったものを必要とされる職業から女性を排除することになりかねない危険な論理である。
また、戦争は男が始めるものであって、女性たちは関係ない軍隊に巻き込むな。という声もある。しかし、この主張は2つの大きな誤りがある。
第1に戦争は男が始めるものというのは明らかに間違いである。歴史的に見ればマーガレット・サッチャー首相は1982年に側近の男性議員の反対を押し切って開戦を決意した。オーストリアの女帝マリア・テレジアはオーストリア継承戦争の際の人物である。1875年〜2004年の各国首脳を対象に、侵略行為における男女間の差を統計的に分析した書籍『Why Leaders Fight(リーダーはなぜ戦うのか)』によると、武力紛争を少なくとも1回起こした首脳の割合は、女性で36%だったのに対し、男性は30%だった。⁴(これは女性が攻撃的であるということではなく、女性は軍事や攻撃的な選択をとれないというジェンダー的な側面からむしろ強硬な選択肢をとっている可能性がある。)
第2に軍隊に女性は確かに存在する。徴兵でない限り、職業選択の自由から彼女らは任官しているのである。この職業選択の結果を軍隊を男性ものであるから参画するべきでないとするのであれば、これは誇りややりがいをもって働いている彼女たちへの侮辱であろう。
自衛隊のセクハラ問題とフェミニズム
ここまでは女性が軍隊においても存在する事実と女性と軍隊を切り離す論理に対しての否定を行った。ここまでの前提で実社会において女性は確かに軍隊に存在する。しかし、フェミニズムの中では日常生活と「戦争・軍隊・軍事化」を議論しなければならない都合上、軍事化のタブーから議論が行われてこなかった。この分野の研究が日本ではほとんどされておらず代表的な研究者は『軍事組織とジェンダー 自衛隊の女性たち』で話題を呼んでいる佐藤文香教授くらいであろう。佐藤教授は研究を始めて当初を振り返り次のように述べている。
社会において男女同権、フェミニズムが叫ばれる中で軍隊(自衛隊)は取り残されてしまったのである。その結果として、自衛隊では昨今話題のセクハラ問題が現れてきたのである。この自衛隊でのセクハラでは下記ようなことが行われていたそうである。
最早これはセクハラではなく性犯罪だろう。しかし、問題当初は自衛隊内での捜査を経たが不起訴処分にとどまっている。自衛隊内での捜査を行う警務隊の捜査体制にも問題があると指摘されるがこれは本筋からそれるので、おいておく。フェミニズムの対象から疎外された自衛隊では、ここまで問題が広がってしまった。これまで多くの女性自衛官がセクハラ問題に悩まされていたという事実が一気に噴出し、社会問題としてようやく取り上げられたのである。第一義的に間違いなく自衛隊の閉鎖空間体質として、パワハラ問題や今回のようなセクハラ問題が常態化しているなかで改革は急務である。責任は重い。一方、本来女性尊重主義を掲げるフェミニズムの中で、軍隊というタブーの中の女性たちは忘れ去られてしまっていた。その苦しみに目を向けなかったことは大いに反省するべき点であろう。
出典・参考文献
₁(Peter R. Jensen. 2014. Hand-to-Hand Combat and the Use of Combatives Skills: An Analysis of United States Army Post-Combat Surveys from 2004-2008, West Point: Center for Enhanced Performance, U.S. Military Academy.)
₂(nikkei.com/article/DGXZQOCB242NT0U1A720C2000000/ 注記こちらは日経の記事でありそもそもの調査の出典元を確認することまではできなかった)
³(女性兵士の身体特性に新たな見解――米調査
⁴「女性は戦争をしない」 シェリル・サンドバーグの主張は正しいのか
『戦争は女の顔をしていない』
スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ (著), 三浦 みどり (翻訳)
(岩波現代文庫)
『女性兵士という難問 ジェンダーから問う戦争・軍隊の社会学』
著者:佐藤 文香
出版社:慶應義塾大学出版会
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