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『環境との協働で災害を生き抜く』 前田昌弘氏レクチャー(中編)

この記事は、京都大学准教授、前田昌弘先生に行なっていただいたレクチャーの内容を構成して公開するものです。
前編はこちら。後編はこちら

東日本大震災の集団移転団地研究

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図1:従前の集落の配置を維持した集団移転団地の事例

二つ目に、東日本大震災の集団移転団地の研究を紹介します。沿岸にあった六つの被災した集落を畳み、内陸の1カ所に集まって復興団地を作った事例です。学識者や専門家が行政と住民の活動をサポートし、町づくりのプロセスを経て住宅地が作られました。特徴的なのが配置計画です。従前の集落ごとのコミュニティを維持するため、もともと同じ集落だった人が、なるべく近くに住めるように計画されています。加えて、災害公営住宅と自力再建の物件が混在するように配置することで、集落のまとまりを維持しながらも、その中で住宅を選択できるという配慮が行われています。僕はこの団地ができた後の暮らしを調査しました。

実際に、ここに住まれた方々に聞き取りをしてみると、避難の過程で家族といちど別居していたり、住まいを転々としていたり。災害後の状況の中で、どこに住まいを再建するのか、誰と住むのかといったことについて、いろいろな葛藤や悩みが生じていることが感じられました。

そうした状況の中で、なぜこの地区を入居先に選んだのかを尋ねてみました。印象的だったのは、高齢の世代の方の、従前からの集落の知り合いが多いこの住宅地以外の選択肢は考えなかったという回答です。その娘さんぐらいの世代の方にも、高齢の親を見知らぬ土地に連れていくのは憚られたという意見がありました。復興団地も「見知らぬ土地」ではあるわけですが、従前の集落のまとまりが維持されているので安心感があった、という意見です。特に高齢の世代は、自分では選択を決められないという方が多い。集落の関係性が維持されていると、そのことを通じて住まいを選ぶことができる、ということが分かりました。

共助の解像度を高める

「自助、共助、公助」という言葉がありますが、この研究で感じたのは、自分で選択を決断する「自助」の考え方になじまない人たちが相当数いる、ということです。選択という行為が、近代特有の「個人」の概念とセットで当たり前のものと思われている。けれども、実際には割り切れない態度というものもある。そうした議論に通じるのかなと思います。また彼らの住まいの移行を支えたのは、「共助」というよりは「互助」、インフォーマルで心理的な関係を通じて、住まいの移行が行われているということです。こうした実態を見ると、「自助、共助、公助」の枠組みはすごく粗っぽい。特に「共助」に対して、もっと解像度を上げて補強していく必要があると感じます。

集団移転団地の共用スペース

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図2:見守りに配慮した災害公営住宅の事例

もう一つの事例を紹介します。石巻市の北東部の、見守りに配慮した災害公営住宅計画の研究です。斜面地にある戸建て形式の災害公営住宅ですが、道路から玄関に入るアプローチだけでなく、街区の中に歩道があり、車が通らない道を通って住民同士が交流できるという計画になっています。いまも調査しているところなのですが、同じ街区に入居した6人の女性が、ほぼ毎日「お茶っこ」というお茶飲み会を行っており、共用スペースをかなり積極的に活用されていることがわかりました。

彼女たちは仮設住宅で知り合い、ここの公営住宅でさらに交流を広げています。普通は復興のステージが進むと、コミュニティは分散します。さきほどの事例のように集落のまとまりを維持している場合でも、交流が増えていくという事例はなかなかありません。現在はベンチなども増え、近所の人も集まってここでお茶っこをされています。

もうひとつ、この共用スペースの活用に寄与していると思われるのが、間取りの工夫です。この災害公営住宅は続き間形式の間取りを採用しています。尋ねてみると、住民の方が従前住んでおられた住まいも似たような間取りだったそうです。続き間で、奥に寝室などのプライベートな空間があり、手前に居間やダイニング、その間に仏間のようなバッファー的な空間があった。現在の住まいの間取りも、表と奥にヒエラルキーがあり、まわりがバッファーになっています。従前の住まいの特徴や生活の習慣が、現在の住まいにも現れています。

空間と住民の関係

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図3:続き間とバッファー空間によるプライバシーの確保

このような「空間と住民の関係」が生まれた要因はなんだったのでしょうか。実はこの団地でも、入居予定の方の意見を計画に反映する取り組みが行われていました。もともとこの方たちはすごく大きな家に住まわれていたのですが、災害公営住宅に移って家が小さくなり、お隣との距離も狭くなってしまった。それでも一定の距離感を保ちつつ交流したいというニーズがあり、それを共用スペースやバッファー空間が受け止めた。また従前の住まいの特徴を取り入れた平面計画が、そうした交流の継続を可能にしている面もある。こうした従前の生活への配慮がなされていたことが重要だったのではないかと思っています。

また、これらを環境への働き掛けの面から見ると、住民が環境に働きかけることで従前の住まいに組み込まれていた特徴や共用スペースの価値が顕在化し、またさらにそれらが住民に働き掛ける、というサイクルがあったのではないか、とも考えられます。こうした空間とのやりとりが、コミュニティの形成につながったのではないかと思っています。

仮設住宅のアクションリサーチ

ここまでは観察に基づく研究でした。一方で実践を通じて気付くこともたくさんあります。僕がアクションリサーチを始めたのは、東北の震災のときに気仙沼市の本吉地区で、仮設住宅の住環境改善支援という活動を始めたのが最初です。当時はプレハブの仮設住宅がたくさん建っていたのですが、環境がひどかった。寒い東北では断熱に問題があり、結露が深刻な問題になっていました。これをDIYで補修するメニューを考えて、ボランティアや住民と施工するという活動を2年間ほど行いました。対策をすすめながら、調査と効果検証を行い、結果をフィードバックする。調査と検証を交互に繰り返すというスタイルで取り組みました。

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図4:応急仮設住宅の住環境問題

その中で大きな課題になったことがありました。支援者のマンパワーが圧倒的に足りなかったことです。そこで「間接的支援」と名付けたやり方を行いました。住民の方に手伝ってもらったり、他の団体に技術移転して、その方々にやってもらうという方法です。団体同士の連携はうまくいき、目標を達成することもできました。ただ反省点として、住民の方に参加してもらったり、技術をさらに他の方に伝えてもらったり、という関係性はなかなかうまれませんでした。

見知らぬ人がやってきて、支援してあげますよと言われても、大抵の人は困って当然です。とはいえ、そういった支援を受け入れてくれる方もいました。活動の後、検証のためのインタビュー調査を行いました。

支援を受け入れる決断に至るパターンは、大きく分けると二つありました。最初に受け入れてくれるのは、居住環境の問題を認識していて、なおかつ僕たちが説明する対策に理解を示してくれる方たちです。ただ、こういう方たちは、感覚では全体の1割か2割ぐらい。それ以外の多くの方はというと、「あの人がやっていて、良いと言ってるから、それは良いんだろう」というふうに、他者への信頼を基に受け入れを判断する。こうしたパターンが大多数でした。

信頼の条件

インタビューのなかで特に面白かったのは、学生やボランティアが作業している様子を見て、初めて「これ、自分でもできるんだ」と思った、という方がいたことです。実際、DIYの際に入居者の方がお茶を出してくれたりとか、お菓子を食べながら雑談したりとか。そういった交流が生まれる二次的な効果がありました。

逆にショックだったのは、「研究者や専門家が関わっていることを知っていましたか」という質問に対して、そんなことは知らなかったという回答が多かったことです。こちらは安心してもらおうと、「専門的な知識に基づいてやっています」と必死に説明していたわけですが、受け入れる側にとってはあまり重要ではない。当事者が住環境に関する技術をどう受け止めるかは、技術そのものよりも、それを提供する主体との関係のあり方のほうが大きく影響する。支援活動に専門家ばかりじゃなく、学生やボランティアが関わることの意味には、そういった部分もあると実感しました。

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図5:学生・ボランティアによる作業の様子

後編に続く


構成:中村健太郎(なかむら・けんたろう)
1993年生まれ。東京大学学術専門職員