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ショートショート『黒塗りの生卵』

下校中、凛香を見た。彼女の視線の先には、信号待ちの黒塗りの車。権力者の象徴だ。周りの空気が小刻みに震えて見えるほどの迫力を纏っている。

今から2年前、凛香の父は突然の心筋梗塞で息を引き取った。

その日は高校の入学式で、私もはっきりと覚えている。隣に座っていた凛香は、担任から静かに声をかけられると、式を途中退席した。すぐに病院に直行したが、間に合わなかったらしい。

後に「過労によるストレスが原因」と見聞きした。凛香の落ち込みようは相当だったが、無理はない。凛香は父親のことをとても尊敬していた。私は幼稚園からの付き合いで仲が良かったから、いろいろと話をする機会も多かった。

「朝早くから夜遅くまで働いててね」

目をキラキラと輝かせながら父親の仕事ぶりを自慢するときの表情は生き生きとしていた。小学生の頃、尋ねてみたことがある。

「でも、お父さんとあまり遊べないのって寂しくない?」

今思えば、馬鹿な質問だったと思う。私は自分の父親を好きではないが、それでも当時は数日出張に出ているだけでも心細かったものだ。だけど凛香はきっぱりと、しかも明るく否定した。

「全然!お父さんが頑張れば、それだけ喜んでくれる人が増えるから!」

凛香は昔から芯が強かった。おそらく家庭教育の賜物だ。愚問への答えは、父親から日頃伝えられていた言葉だったのだろう。子どもというのは残酷で、凛香に罵詈雑言を吐く奴らもいた。子どもらしくない内容の悪口の数々は、大人からの入れ知恵に違いなかったが、凛香は父の子として生まれた宿命から一度も逃げなかった。
 
凛香の父親は政治家だった。身を粉にして奮闘していたのは事実だったのかもしれない。けれど、何をしても批判を受ける職業だ。凛香も十分に理解していたからこその覚悟だったと思うが、凄まじい喪失感によって芽を出した恨みの感情は抑えられなかったようだ。

父親を亡くした凛香は人が変わってしまい、近づきがたい雰囲気になった。高校生活を送るうち、私にも新しい友人が何人もできて、その子たちと過ごすようになっていった。凛香とはずっと同じクラスだったが、いつもひとり。同情と嘲笑が入り混じる中、彼女がどれほど苦しんでいるのか、知ろうともしなった。手を差し伸べようともしなかった。きっと、私のことも軽蔑しているはずだ。今さら弁解する余地はない。
 
信号待ちの黒塗りの車を何人かが囲い、シュプレヒコールを挙げている。騒然としたのは、その直後。誰かが車に生卵をぶつけた。群衆は歓喜に沸いた。

素早く通りすぎようとした私の耳に声が届いた。久しぶりに聞く凛香の声だった。

「あの生卵は私。なのに、誰も私の味方になってくれない」

じっと見つめる凛香は涙を流し、笑っていた。

fin.

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