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ショートショート『しゃぼん玉模様』

ありったけの青色で塗り切ったような雲ひとつない晴天で、英太は腹が立ってしょうがなかった。雨が降っていれば、それはそれでイラついていたに違いない。だとしても、せめて曇っていてくれさえすれば、鬱屈を紛れさせることはできたはずだ。自分だけが白日の下に晒されているようで胸くそ悪い。

ギターを抱え、ストリートライブに向かうが、英太の足取りは重かった。昨晩、ライブハウスのオーナーに紹介してもらったプロデューサーに歌を酷評されたのだ。

「こんなんじゃ売れない」「ありきたり」

その場にオーナーがいなければ、殴ってやったのに。いや、きっと、それすらできなかった。だから余計に情けなく、自信喪失と自己嫌悪でいっぱいになった英太は馴染みのバーを訪れ、浴びるほど酒を飲んだ。おかげで酷い二日酔い。ストリートライブは誰かと約束したものでもなく、やらなかったとしても何の支障はない。でも、一度サボると、そのままズルズルとフェードアウトしてしまいそうで、恐怖心に駆られた。

駅まで歩いていると、顔の前を何かがよぎった。しゃぼん玉が飛んでいる。反対側で、小さな男の子が吹いていた。英太の存在は視界に入っていないのか、家の門にもたれながら、液に浸けて吹くという一連の流れを一定のテンポで続けている。

後ろから歩いてきた婆さんが「今日も綺麗ねぇ」と呑気に笑うのが癪に障った。にらみつけ、わざと大袈裟に舌打ちをするも、その子は全く動じない。太陽に照らされてキラキラと輝くしゃぼん玉が青い空に消えていく。もう見たくもないから、英太は急いで立ち去った。

この日は電車が人身事故で遅れていて、到着したのは予定より30分遅れ。嫌なことは重なるものだと英太は眉間を爪でカリカリと掻いた。ギターを取り出し、鳴らす。もちろん、聴衆はいない。何とか一曲歌い切り、二曲目を始めようとしたとき、女子高生2人組が近寄ってきた。

「今日はライブないのかと思ってました」

「えっ?」

「私たち、英太さんの歌が大好きで」

夢かと思った。嬉しさや喜びが身体中を駆け巡るには、少々時間がかかることを英太は思い知った。重力を忘れたようにすっと軽くなり、鼻の奥がツンとした。

英太は咄嗟に曲目を変えた。昨日、プロデューサーに馬鹿にされた、あの歌。すると、彼女たちは大きな拍手を送ってくれた。警察に制止され、結局ライブは40分ほどで終了。喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、さっきの女子高生たちの表情を思い返す英太の頬は自然と緩んだ。

夕方、自宅に戻る途中、また顔の前を何かがよぎった。しゃぼん玉だ。まさかずっと吹いていたわけではないだろうけど、男の子の姿勢もテンポも変わっていない。液に浸けて吹く、の繰り返しだ。オレンジ色に染まったしゃぼん玉が飛んでいく。思わず見とれていると、無数のピンクの花びらが舞い入ってきた。

桜だった。風に乗ってやって来たのか、月並みだけど幻想的で美しい。

夕日、しゃぼん玉、そして、桜吹雪。英太は少し恥ずかしくなった。でも、胸に焼き付けておかねばならないと思った。今日という日に自分が抱いた感情のすべてを。

fin.

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