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サンドイッチと牛乳

僕は真夜中の薄暗い路地裏にいた。
どうしてそこにいたのか、よく覚えていない。
いや、いろいろありすぎて、記憶が混濁している。
ひどく空腹でとても疲れて、ひたすら眠かった。
固いコンクリートの壁とアスファルトの道路。日の当たらないごみ置き場のすえたにおい。それでもあと少しの時があれば、僕は確実に夢の世界だった。

ふと気配を感じてうすく目を開けると、暗がりの中に白い服を着た男が立っていた。
ちょっと長すぎるけれど白衣のようなものを着ている。
ぼんやりした意識の中でも不思議な気はしたけれど、
すでに何をする気力もなかったし、動ける状態でもなかったから、
そのまま目を閉じてやり過ごそうとしていた。

でも男は、
「大丈夫ですか」
抑揚のない声で話しかけてきた。
「大丈夫です」
微妙に体を起こし、深呼吸を一つしてどうにか息を吐きだした。僕のかすれた声はどうにか男に届いたらしい。
「それはよかった」
思いのほか優しい声が返ってきた。
「もう少しで死神を呼びそうになりましたよ」

その言葉に止まっていた思考が少し動く。
死神は呼んだら来てくれるらしい。

でも、それ以上僕の脳は稼働しない。
どうでもいいような気がしてくる。目を開けているのさえ億劫で、まして考えることなど到底できそうにない。

「冗談です」
取り繕うように言った男は
「サンドイッチと牛乳です」
それが当然のことであるかのように差し出した。
僕の思考が、いや心が急に動き始めた。
そうだ、これが欲しかったんだ。
それが唯一の望みだった気がした。

夢中で男が差し出したサンドイッチを食べ、牛乳を流し込んだ。
サンドイッチは僕の大好きなふわふわ卵で、母が作るそれのような懐かしい味が口中に広がっていく。
少しずつ空腹が満たされて、体中にあたたかい力が湧いてくる。
いろんな重しが徐々に取れて、
地に沈みそうになっていた体が軽くなっていく。

そして、ふと気付く。
白い男はじっと僕を見ていた。
食べてよかったのだろうか。
この代償は大きいのだろうか。
よくよく考えれば、真夜中のこんな路地裏にサンドイッチと牛乳を持っている男なんて怪しすぎる。
勿論、僕だってあやしいのかもしれないけれど、僕は僕だから。

「私の仕事を手伝って頂けますか」
白衣の男はにこやかに僕を見つめて、ためらいもなく言った。
ほらね。
やっぱりだ。
サンドイッチと牛乳の代償なんだ。
一体仕事ってなんなんだ。

でも、白衣の男は僕の返事を待たず、いや、もともと返事など聞く気などなくて、
闇の中でもはっきりそれと分かる漆黒のリムジンが滑るように現れると、ふわりと乗り込んだ。
僕は何一つ抵抗も出来ずに、つられるようにふわりとはいかなったけれど、ドタバタと乗り込んでしまった。
心外にも、リムジンはすこぶる快適で、ゆったりと穏やかな気持ちになっていつしか寝ていたらしい。
その直後の記憶はない。


そして今、僕は博士の広い屋敷に住んでいる。
博士が言っていた仕事は博士が作る素敵な雑貨を売り歩く訪問販売だった。
ちょっと、気に入っている。
これもありかなって思っている。

そして分かった事がある。
博士は死神の友達で、トイレの神様や竈の神様ほどは馴染んでいないけれど、やっぱり神様の一人なんだと思う。
僕の知る限り、おじいちゃんやおばあちゃんをほんの少し幸せにする神様。
町々にはたくさんいるはずの神様だと思う。

となると僕は当然、天使? 





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