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貯金を喪に服すINFJぼやき


4年間、コツコツと

貯まってしまったお金を

ただのんべんだらり

生きることのみに使ったり

本に充てたり

無駄な物を買って散財したりする。

もったいないから

資格の勉強や

何か役立つことに使えとか

何かの時の為にとっておけとか

言われる人もあったが

今の私にとってはその方が

かえって無駄な行為なのである。

なんせその何かが

いくら考えてもわからないもんだから

じっと何もせず

ひたすら息をしているわけなのだ。

私のお金だった物が

なんの意味もない時間

なんの生産性もない時間の中に

すんなりと消えていく様が

神々しくさえ思える。

(ただ自堕落なだけなのだが)

ある種の儀式のような

そんな感じ。

お金とは不思議な物で

思い出やあらゆる人の行為が

内包されている。

その思い出や行為を

自分の寿命を使って

無に帰す

あるいは喪に服す

というのもなかなかリスキーで

粋なことだと感じる。

ミニマリストだとか

断捨離というのが

もてはやされた時期もあるが

お金の断捨離は聞いたことがないような。

人や身の回りの物は断捨離するが

決してお金は断捨離しない。

あったらあったで

素敵な夢を叶えてくれたり

自由を与えてくれるからなぁ

当然うらやましくもある

あるだけで人気も出ちゃったりする

なさすぎるのもそれはそれで

困るんだけれども

世の中

無駄に使われたり

無駄に使われないお金も

たくさんあるのになぁ

と、また非現実的なことを宣う

今日この頃である。

愛玩していたそれらが

ある程度消え去った時

清々しい焦りと共に

心身が一堂に会し

動き出してくれるのかどうか

知りたくてしかたがない。

その日が待ち遠しい限りである。

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