英語を学ぶのは、「悲しさ」を知るため。

英語を学ぶ理由は、外国人に道を教えるためではありません。
外国語を学ぶことは、自分の知らないものの見方や感じ方を知ることです。


中学生や高校生は、どうして英語を勉強しなければいけないのか、わかりません。
大学生ですら、英語の講義をあと何回欠席できるかを計算します。



日本には、英語ができない人がたくさんいます。
日本から出なければ、英語ができなくても、生きていこうと思えば生きていけます。


日本は明治時代に、欧米の植民地化を免れました。
偉大なる先人たちの命懸けの努力によって、日本語は守られたのです。


もしも日本が植民地になっていたら、日本文学は生まれてこなかったでしょう。
夏目漱石も、芥川龍之介も、太宰治も、三島由紀夫も、大江健三郎も、村上春樹も、存在しません。



もしもあの時、日本が植民地になっていれば、現代の日本人はもっと英語が得意だったでしょう。


日本人が英語を勉強する理由は、感性を鍛えるためです。
母国語にはない語彙や表現を知ることで、それ以前には捉えられなかった感情があることを学びます。


日本語には、便利な言葉が生まれました。
「やばい」は、広辞苑にも載っています。
ところが、広辞苑ではマイナスの意味しか解説されていないので、むしろ遅れています。


言葉を持たない人は、すべてを「やばい」と表現します。
その人にとっては、宿題を忘れることも、ディズニーランドに行くことも、どちらも「やばい」のです。
危険な状況も、楽しいことも、同じになっています。


人間の感情には、「悲しさ」があります。
悲しさは、ひとつだけではありません。



深い悲しみ、大きな悲しみ、身を切るような悲しみ、胸が張り裂けそうな悲しみ、全身から力が抜けていくような悲しみ……
白色と同じく、悲しさは200種類、あるいはそれ以上あります。



「かなしさ」「悲しさ」「哀しさ」
これだけでも、相手に伝わる感情は違います。
これが、日本語の豊かさです。


モーツァルトの音楽は、「tristesse allante」と呼ばれます。
フランス語で、疾走する悲しさ、という意味です。
フランス人にとって、悲しさは、時に疾走する感情なのです。

外国語を勉強しない人は、この世界には「疾走する悲しさ」が存在することすら、知らないのです。


知性は、感情に名前を与える道具です。
感情は名付けられることで豊かになります。



長年付き合った恋人と別れて涙を流す友だちに、「それは、やばいね」と言う人になりたければ、英語の授業で寝ていればいいのです。



英語を学ぶ先に目指すのは「extra me」です。
それまでの自分の外にある世界を知ることです。
「やばい」の世界から、「疾走する悲しみ」の世界へ移動します。



人間は「言葉」を勉強することで、「私」の向こう側に抜け出るのです。






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