本物に会ってみる
お読みいただき、ありがとうございます。
小学校教員5年目になる、27歳です。
R6.3に退職することになりました。
現在は、療養休暇中です。
退職に至るまでの経緯や感じていることを思いのままに書いています。
前回からの続きの内容となりますので、良ければこちらもお読み下さい。
2年前に感じていたこと
大学を卒業してから5年間、通常学級の担任をさせていただきました。
担当学年は全て小学校で、以下の通りです。
「5年生→6年生」「1年生→2年生」は同じクラスを持ち上げたので、担任したクラスは3つの感覚でいます。
2年前、6年生を卒業させた後に1年生の担任をすることになりました。
最初は、「これはもう別の職業だなぁ…」とまで感じていましたが、なんとか2年間担任を続けることができました。
この低学年をもたせてもらった2年間で感じたのは、
「育てるって面白い!!」
という気持ちです。
小学校の低学年には、「生活科」という教科があります。
(以下、文部科学省資料)
教科の目標は、「自立への基礎を養う」というもので、様々なことを体験活動をしながら学習を進めていきます。小学校1年生でアサガオを育てるのは、生活科の授業の一環です。
(私の地域だけでしょうか…笑)
そんな生活科の授業を子ども達と進めていく中で、花を育てたり、畑に行ったりする機会がたくさんありました。
植えた種から芽が出たり、大きくなった野菜を収穫したり、花の手入れをしたり、土を耕したり…。子どもの様子そっちのけで、私自身がとても楽しむことができた時間でした。
そんなきっかけで、一人暮らしのアパートでペチュニアや日々草を育てることも初めて、土に触れることや植物を育てることが楽しいと感じるようになりました。
今回、教員を辞めることになったときに、
「土に触れたり植物を育てたりしながら働けないかなぁ」と
ぼんやり感じていました。
母の思惑(笑)
だから言ったじゃん。
教員を辞めた後、農業に関わりたいという話を母にしました。
すると母は、
「だから言ったじゃん…。」
と言います。
「あれ、なんか農業のこと言われたことあったっけ…?」
と考えるのですが、私は全く思い出せません。
教員一家で育った母は、
「こんな大変な仕事を子どもにはさせたくない。」
と、前から思っていたようです。
そこで、私が高校3年時に部活が終わった際、地元にある実践農場大学校への進学を勧めたそうなのです。
車を使えば実家からも十分通えて、畑も母方の祖父が使っていた場所がいくらでもあるからと、かなり真剣に話をしてくれたそうです。
まぁ、1つも覚えていないのですが(笑)。
そんな母のイライラしながらの話も聞きながら、2人で農業の道についてあれこれと考え出しました。
クラフトビール
「農業をやりたい」と言っても、具体的に育てたいものがあるわけではなく、そもそも私の住んでいる地域でどんな物が育つのかもよく分かっていませんでした。
そこで、母が提案してくれたのが「ホップ」です。
私のすんでいる都道府県では「クラフトビール」の生産がかなり盛んです。
そして、どこのブルワリーからもほぼ全て「地元ホップ使用」というクラフトビールが売られていました。
我が家はもれなく全員お酒が好きなので、地元地域のクラフトビールにもかなりアンテナが高く、母は前々からホップ生産を企んでいたようです(笑)
私もかなり面白そうだと思い、クラフトビールを造っているブルワリーを友達と一緒に巡り、「ホップ」のことについてあれこれ聞きました。
どうも、ブルワリーでホップ畑を持っているパターンか、ホップ農家から仕入れをしているパターンが多いようでした。
そこで、ホップ農家さんに連絡をして、会ってみることにしました
実際に会ってみると…!?
とあるホップ農家さんとメールで連絡をとらせてもらいました。
農業どころかホップのこともよく分かっていない私が突然連絡をしたのにもかかわらず、快く時間をつくって下さいました。
ホップの育て方、出荷の仕方、実際のホップ畑や機器など、たくさんのお話を聞くことができて、とても良い時間になりました。
が…笑
私にとって、かなり衝撃的な話を聞いてしまいました。
それは、
「ホップって、ビール造るのにそんなにいらないんだよ。」
「1000㍑のビールに、大体3キロぐらいかな。」
まさかの、ホップはそもそも量がいらない説(笑)
これは困った…。
ちょっと諦めムードの私でしたが、その後も私の悩みを一緒に考えて下さったホップ農家さん。
ちょっとずつですが、今後のイメージがわいてきました。
次回、「これはもしかして1年間待つってこと…!?」
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