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『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』感想文   ー「真摯に」相手と向き合うことの大切さー

 映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』を見てきました。1990年代のニューヨークが舞台なのですが、街並みや服装がおしゃれで音楽も優しく素敵で、派手さはないもののじっくりと心に語りかけてくれる私好みの映画でした。

あらすじ
 90年代、ニューヨーク。作家を夢見るジョアンナは、老舗出版エージェンシーでJ. D.サリンジャー担当の女上司マーガレットの編集アシスタントとして働き始める。昼はニューヨークの中心地マンハッタンの豪華なオフィスに通い、夜はブルックリンにある流し台のないアパートで同じく作家志望の彼氏と暮らしている。
 日々の仕事は、世界中から毎日大量に届くサリンジャーへの熱烈なファンレターを処理すること。小説の主人公に自分を重ねる10代の若者、戦争体験をサリンジャーに打ち明ける退役軍人、作家志望の娘を亡くした母親ーー心揺さぶられる手紙を読むにつれ、飾り気のない定型分を送り返すことに気が進まなくなり、ふとした思いつきで個人的に手紙を返し始める。そんなある日、ジョアンナが電話を受けた相手はあのサリンジャーで…。

映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』オフィシャルサイト STORY

 まずもっての感想はもう映像がおしゃれ!90年代ニューヨークの街並みも素敵だし、なんていったってシガニー・ウィーバー演じる女上司マーガレットの服装が素敵!どの服装もおしゃれなんですけど、グレーのパンツに合わせて辛子色のカーディガンを肩からかけていた服装ができる女上司!っていう感じでかっこよかったです。主人公ジョアンナも文学少女っぽい感じのワンピースとか髪型とかめちゃくちゃかわいいー。一方で家でのラフな感じの服装も素敵。家のお庭でサリンジャーの本を読んでるときのホットパンツから惜しげもなく投げ出された美しい足にうっとり。

ーーーここからだいぶネタバレありますーーー

 物語の大筋としては主人公ジョアンナが大都会ニューヨークで「何者か」になりたいと少しずつ自分の道を歩み出していくというお話。他とは違う特別な自分になりたい、という青年期特有の焦燥感みたいなものってあるよね、と主人公に共感。

 ただ、そのなかで、主人公が作家になるという夢に向かって歩んでいくことができたのは就職先の上司たちとの関係性が大きかったのではないかと思いました。みな、上司と部下という関係はありつつもジョアンナに「真摯に」向き合ってくれていたからこそ可能だったのではないかと思うのです。

 実は、その部分がこの映画の中で私の中の予想が大きく良い意味で覆されたところでした。事前にネットで「文芸版『プラダを着た悪魔』!」といった評判を目にしていたので、『プラダを着た悪魔』で主人公アンドレアが女上司ミランダにさまざまな無理難題や辛辣なことを言われていたように(それはそれで見ててとても面白いし、その映画の良い意味での特色ですが)、ジョアンナはマーガレットにこき使われて辛い思いをするに違いないとてっきり思っていました。でも、全然そのようなことはなく、マーガレットはもちろん上司と部下という立場の違いはあるけれど、ジョアンナに真摯に向き合い対等に扱ってくれていたように思います。
 
 ジョアンナが就職してまず命じられた仕事は大量に届くサリンジャーへのファンレターにただただ定型文の返事を書くこと。大量に届くファンレターには書いた人からサリンジャーへのそれぞれの熱烈な思いが込められています。ジョアンナはその思いを無下にすることにどんどん罪悪感を抱き、返事を書くことになるのですが、すべてのファンレターの書き手一人ひとりの思いに「真摯に付き合う」というのはものすごくエネルギーがいることです。サリンジャーはそれに疲れたからこそ表舞台から隠れ、ファンレターも自分で読むことを辞めたのではないのかな、とか想像しました。

 ただ、そんなサリンジャーが小さな出版社から本を新たに出すというところから話は展開していきます。サリンジャーからその件で電話を受けたところからサリンジャーとジョアンナの電話のみでのやりとりが始まります。サリンジャーもまたジョアンナの作家になりたいという思いを知り「作家になりたいなら毎日15分でも書かなきゃいけないよ」という助言を送ってくれます。

 皆がジョアンナに対して真摯に、そして対等に向き合ってくれていくなかでジョアンナは成長するのですが、一人だけジョアンナに真摯に向き合ってくれなかったのがニューヨークで知り合い同棲するようになった恋人のドンだったように思います。確かにドンはジョアンナを愛し大切にしていたかもしれませんが、友達の結婚式をジョアンナに知らせない(きっと欧米ではパートナーを連れていくのがきまりという文化だと思うのですが)など、ジョアンナをどこか軽く扱っていたように思います。ジョアンナのことをジョアンナが嫌がるにもかかわらず祖母が自分のことを呼んでいた呼び名で呼ぶことからもそれが感じられます。なのでジョアンナが自分の夢を羽ばたかせるためにドンのもとを去ることは必然だったのかもしれません。

 一方で、地元に残してきた彼氏はジョアンナと真摯に向き合い対等に付き合ってくれていた大切な存在だったのだと思います。その彼氏との別れのシーンは、お互いに好きだけれども、もうニューヨークで自分の道を進み始めたジョアンナとはもう共に進んでいけない切なさがあり、うるっときちゃいました。最後のほうで、ジョアンナがサリンジャーの小説を読み進めるなかで、レストランの一角でダンスをする想像のシーンがありました。その相手はおそらく別れた地元の彼氏だったのだと思うのですが、大切な相手との叶わぬ恋だからこそダンスシーンが切なく美しかったです。

 サリンジャーやマーガレットなどたくさんの人と関わり合いながら成長していくジョアンナですが、人と「真摯に向き合う」ことのしんどさもまた映画には描かれていました。ジョアンナがサリンジャー宛のファンレターに手紙を返しますが、その返事を読んだ女子高校生がジョアンナに怒りをぶつけにやってきます。人の気持ちに真摯に向き合うということは、その結果として、相手の気持ちや行動を引き受ける覚悟が必要だということを感じました。また、ジョアンナの上司のひとりであるダニエルが自殺してしまいますが、ダニエルが実は双極性障害を患っており妻と実はダニエルの愛人であったマーガレットの2人が世話をしていたことが分かります。これもまた妻と愛人のどちらにも真摯に向き合うことのしんどさや罪悪感が背後にあったのではないかと感じたりもしました。

 人と向き合うことの辛さもありつつ、人と「真摯に」向き合っていくことでしか人生は進まない。そんなことをこの映画から感じました。ただ、ジョアンナは周りの人との関わりの中で変化していった部分が大きく、自ら主体的に変わろうとする部分はあまり描かれておらず、その部分は見る人によっては消化不良に終わるかもしれません。

 サリンジャーから一歩踏み出す勇気をもらったジョアンナがサリンジャーのコートのポケットにファンレターをこっそり入れますが、ジョアンナもまたサリンジャーの背中を押す存在として、あくまで同じ人と人としての対等な立場での関わりを描こうとしていたように感じました。

 派手さはないものの、周りの人との関わりのなかで成長していくキュートなジョアンナの物語に好感をもてました。

 最後に、noteの執筆をだいぶさぼっていた私にサリンジャーの「毎日15分は書かないといけないよ」という言葉を肝に銘じたいと思います(笑)


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