見出し画像

父から息子へと受け継がれる「強さ」という呪縛 ー映画『The Son 息子』感想文

 『The Son 息子』は『ファーザー』で老いゆく父の生きる世界をミステリータッチで描いたフロリアン・ゼレールの監督作品第2弾。父と息子のすれ違う思いがひしひしと胸をうち、最後の衝撃を受け止められずに思わず涙してしまう。

 キャッチコピーは
愛しているのに届かない親と子の<心の距離>を描く、衝撃と慟哭の物語

あらすじ
 高名な政治家にも頼りにされる優秀な弁護士のピーターは、再婚した妻のベスと生まれたばかりの子供と充実した日々を生きていた。そんな時、前妻のケイトと同居している17歳の息子ニコラスから、「父さんといたい」と懇願される。初めは戸惑っていたベスも同意し、ニコラスを加えた新生活が始まる。ところが、ニコラスが転校したはずの高校に登校していないことがわかり、父と息子は激しく言い争う。なぜ、人生に向き合わないのか?父の問いに息子が出した答えとは−?

映画 The Son    息子 オフィシャルサイト Story
https://www.theson.jp

ーーーここからネタバレあるので、ご注意くださいーーー

息子ニコラスのよき理解者であろうとする父ピーター

   タイトル『The Son 息子』があらわすように、父と息子の話なのだが、ピーターとその息子ニコラスの話でもあり、ピーターとその父アンソニー親子の話でもある。

 弁護士のピーターは高層ビルで働き、政治家とのつながりもある社会的な成功者である。物語は前妻ケイトから息子ニコラスの様子がおかしく、学校に行っていないことを聞かされるところから始まる。ニコラスに「父さんといたい」と懇願されると(これまで仕事にかかりきりだった罪悪感もあってか)快く家に迎え入れることを決める。このあたりは一見、ピーターはいいお父さんじゃないか、という風情が漂う。ニコラスが何か学校で困っていることがあるのではないか、自分には話せなくてもセラピストに話してほしい。友だちとは出かけないのか、このフランス風のかっこいいジャケットを買ってあげよう、パーティーに着ていくといい、ダンスが踊れないなら教えてあげよう。

 子どもの気持ちに寄り添い、励まし、チャンスを与えてあげるよい父親。朗らかにケイトと踊って笑う父ピーターには見えないように、暗い影のあるニコラスの表情が見ていて突き刺さる。

父から息子へと受け継がれる「偽りの強さ」

 だが、そんなピーターも自らの父アンソニーとの間にはわだかまりがあるらしい。アンソニーは地元の有力者のようである。アンソニーは仕事を理由に、幼かったピーターと病気の母を全く顧みなかったこと、それゆえピーターは経済的に困窮し、母の最期すらアンソニーは看取ることがなかったことが少しずつ明かされる。久しぶりにアンソニーに会いに行ったピーターに対し、ピーターは「40年前のことをいつまで言っているんだ」「そんなものとっとと乗り越えろ」と言い放つ。

 一見するとアンソニーの言葉は成功者のもつ「強さ」「男らしさ」のようである。だが、裏を返せばそれは「傲岸不遜さ」や「他者への思いやりのなさ」であり「偽りの強さ」に他ならない。アンソニーのそういった態度に傷ついてきたピーターは自分はそのような父親にはならないようにと心に刻み、ニコラスには接しているようだ。

 だが、ニコラスが実は登校していなかったことが分かると父と息子は激しく言い争ってしまう。ニコラスは尊敬していた父が自分と母を捨てたこと、いつも学校や人生の話しかせずに自分を理解しようとしなかったことを罵る。ニコラスに罵られたピーターは「私にも人生がある!」と激昂する。

 ピーターはこれまで憎んできた父の傲岸不遜な態度でもって、息子ニコラスに接してきたことに気づいてしまう。

 憎んできた部分、自分はそうはならないと思ってきた部分が自分のなかにあると気づいてしまったときの自己嫌悪はあまりにも辛い。息子と向き合うためには、憎むべき父の息子である自分と向き合わなければならないこと、「強い」男であるべきだという思いに呪縛されてきたことが重苦しいまでに描かれる。

「偽りの強さ」の象徴である「猟銃」

 父アンソニーから息子ピーターへ受け継がれていた「偽りの強さ」を象徴するものが猟銃であろう。

 ベッドのマットレスの下に隠してあったナイフを「護衛用だ」と言い張るニコラスを厳しく問い詰めるピーター。ニコラスは「父さんだって洗濯機の後ろに猟銃を隠してるじゃないか!」と叫ぶ。それは猟銃であり、狩りが好きな父アンソニーから息子ピーターへ贈られたものだった。

 そういえば、アンソニーの家の壁には鹿の剥製の首が飾られていた。猟銃は自然を力でねじ伏せるものである。そうやってアンソニーは家族を、他人を力でねじ伏せ、有力者であり続けたのだろう。アンソニーが猟銃を息子ピーターへと贈ったのはピーターにも自らのように強い男であることを求めていたように思われる。だが父の傲岸不遜さを許せないピーターは力を誇示することを嫌い、かといって捨てることもできずに洗濯機の背後に隠してきた。父アンソニーの冷徹さを嫌いつつも、ピーターも自らの力で成功したという点では、父に認められるために父に似たものを自覚せずに抱えてきたのだろう。

 だがニコラスに自分の中の父と似た部分、隠されていた「偽りの強さ」が暴かれてしまう。

 アンソニーは猟銃に象徴される「偽りの強さ」を使い生きてきた。その力を嫌い、かといって捨てることもできなかったピーター。その父に反発するニコラス。ニコラスは他者に力を向けるにはあまりにも繊細だったのだろう。

 猟銃の象徴する力が外、すなわち他者へ向かうのではなく、内に向かったとき悲劇が起きる。

おわりに

 観客も悲劇を受け入れることができず、ピーターとともに理想的な結末を夢想する。だが一度起こった悲劇は取り返しがつかない。それでもケイトの言うように人生は続いていく。

 フロリアン・ゼレール監督は『この映画が、心の病に関する様々な対話のきっかけとなることを期待する』と語っている。

 私は、この映画は、父が息子に立派な人間になってほしいという誰しもの願いが悲劇につながったように感じた。立派な人間になるために「強さ」「男らしさ」を身につけてほしいと。だがそれが行き過ぎると現代の日本の自己責任論にもつながっていくのではないか。「男らしさ」という呪縛にとらわれずに、自分の、そして他者の中にある「弱さ」に向き合い、対話することでしか心の病と向き合うことはできないのだろう。

 本作はフロリアン・ゼレール監督が自身の戯曲を原作にした家族3部作の第2部である(本作公式HPより)。老いゆく父の世界を描いた『ファーザー』、父と息子の<心の距離>を描いた『息子』。次にはどのような作品が生まれるのかが楽しみだ。

追記

 本題とは関係ないけれど、ヒュー・ジャックマンがめちゃくちゃかっこよかったーー!!ヒュー・ジャックマンは『レ・ミゼラブル』以来、大ファンです。シリアスなシーンとかの演技のうまさはもちろん言うまでもないのですが。他にもスーツをめちゃくちゃかっこよく着こなしてて、エリート弁護士似合ってるー!スーツをあれだけかっこよく気なせるのも当然!っていうくらい筋肉めちゃくちゃついててすっごくいい身体してるんですよね。さすがウルヴァリン!シャワーシーンにもううっとり。
 あと、ダンスを踊るシーンがあるんですが、妻のベスにはかっこいいけど笑えるー!みたいな感じで言われてるんですけど、いやいや本当はめちゃくちゃ踊って歌えるくせにwwwって面白かったです。
 ヒュー・ジャックマンがお好きな方はぜひ!
 

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?