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湯舟のなかで食パンをむさぼり食う女

じんわりと湯気がまとわりつくなか、なんにも塗っていない、そのままの食パンをむさぼる。


もぐもぐ。ごくり。
もぐもぐ。ごくり。


真っ裸で、濡れた髪もそのままで。ただ、食べていた。お腹はすいていなかった。むしろ、それなりに満たされていた。
でも、どうしようもなく、食べずにはいられない瞬間が、ときどきある。

「うちは糖尿になりやすい家系やから、気ぃつけなあかんで~」そんな母の言葉を思い出しながら、それでも、食べずにはいられなかった。
ポテトチップス、チョコレート、ありとあらゆる嗜好品で自分の体をいじめながら、こう思った。


「満たされてないんだな、わたし」



それなりに生きていれば、やるべきことはたくさんある。仕事、人付き合い、趣味・・。
わざわざこっちが探さなくても、そこにある。
今すぐやらなくてもいいけれど、ちゃんと考えておいた方がいいことも、たくさんある。
仕事のスキルアップ、親の介護、将来のお金のこと・・。
わたしたちの人生のレールに、当たり前のような顔して、居座っている。

そんなあれこれをちゃんと考えて、行動して、そうやって生きてきたし、これからもきっとそうなんだ。「これで間違ってないんだ」そう言い聞かせながら、ぼんやりと、視界がにじんでくる。
人の顔、風景、すべて置き去りにして、わたしの”心”がくっきりと浮かび上がってくる。

「ただ生きているだけじゃだめなのか?」

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「人間は動物です」

小学校の理科の先生が言っていた。
そうか。人間は動物なのか。
それならもう、難しいことは考えずに、ただ生きていればそれでいいんだよね。
将来とか、夢とか、生きる意味とか、そういうの、いらないんだよね。
ただ、食って、寝て、だれかとつながって。
それさえ満たしていれば、生きていけるってことだよね。

・・じゃあ、教室の後ろに貼ってある「夢」って、いったいなんなんだろう?
なんでみんな嬉しそうに書いてるんだろう?
「夢をもつことは素晴らしい」って先生が言う。
夢をもって、今の自分よりも”素晴らしい自分”を目指しましょう、って。
・・人間は動物だったはずなのに、おかしいな。
みんな、どうやら、”なにか”になりたいらしい。

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「人間の欲求は5段階あるのじゃ」

ひげを生やしたアメリカのおじさんが言っていた。マズローさんというらしい。(マズローさんのしゃべり方はわたしの妄想)
「生きる上で最低限の環境がほしい」というものから、「誰かに認められたい」という社会的な欲求まで。人間の欲求は5段階に分けられる、とマズローさんは言っている。なるほど。

その5段階の一番上にある「自己実現欲求」。
「理想の自分になりたい!」とか、そういうやつ。これが、みんなが当たり前のように”夢”を語る原因らしい。
生きる上で最低限の環境も安全も保障された今のわたしたちは「もっと上にいかなきゃ」と、終わりのないマラソンをしている。
そんなマラソンに疲れ果て「ありのままでいい」「生きているだけでえらい」って言っている人もいる。

だいき@理想の人生を実現
「成功する人の特徴4選~。これを見た皆さんは、どう行動しますか?行動しなければ、なにも変わりません。」
まや
「いろんな声がある世の中。でも、惑わされないで。あなたは、あなたのままでいい。生きてるだけでえらい。」


Twitterの海を彷徨っていると、こんなツイートが交互に流れてきたりする。
思わず「どっちだよ」とつっこみたくなるような、カオスな世の中。
どっちも分かるような気もするし、分からないような気もする。みんなほんとうに、心の底から思っているんだろうか?わたしは、なにか一つのことを信じ切れたことがあるだろうか?
そんなことを考えながら、Twitterで踊る機械的な文字の向こう側、その人の心が透けて見える。


みんな、心に穴が開いている

名称未設定のデザイン (23)


”みんな”なんてひとくくりにできるほど、わたしは”みんな”のことを知らないし、これはただのわたしの願望かもしれない。
でも、生きているほとんどの人の心の状態は、もしかしたら同じなんじゃないかと思ってしまう。
きっとみんな、最低限生きられている。
ガチャガチャした社会のなか、働いて、呑んで、寝て、また働いて。このまま止まれないんじゃないか、そんなうっすらとした恐怖を見ないふりして、泥のように眠って。
次の日、会社の最寄り駅をでた瞬間、足が止まる。


「このまま、死んでいくのかな」


最低限の生活。
それなりに健康な体。
暗殺者に殺される心配も、今のところなさそう。
そうなったときに、残るのは心だけだった。
”心”とか”精神”とか目に見えないものに振り回されて、なにやってんだろうと思うこともある。
けれど、わたしたちの体は、たしかに”心に支配されている”。
そう実感せざるを得ないほど、心は、圧倒的な存在感で、わたしの左胸のあたりに居座っている。

「心にぽっかりと穴が開く」


そんな曖昧な表現に、みんながなんとなく共感できてしまうのも「”心にぽっかりと穴が開いている”ような気がする」。そんな、満たされない経験をしたことがあるからだろう。

かくいうわたしも、心にぽっかりと穴が開いている。目には見えないけれど、たしかに開いている・・ような気がする。
その穴を埋めるために、わたしは、湯舟のなかで食パンをむさぼっていた。


もぐもぐ。ごくり。
もぐもぐ。ごくり。


飲み込んだ食パンは、しゅるしゅると食道を通って、胃に入って、いずれ外にでてくるだろう。
わたしの体は、ちゃんと機能している。
五体満足で、病気もない。
きっとこの後も、やったこともないゲームの実況を流し見ながら、健やかに寝落ちするんだろう。
これで充分だ。わたしは恵まれている。

そう思いながら、わたしはまた、食パンをかじっていた。


もぐもぐ。ごくり。
もぐもぐ。ごくり。


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