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001.文才

 この世には2つの論調がある。
「努力は才能を超える」と「秀才は天才に勝てない」

(「努力できることがすでに才能」なんて身もフタもないことを言う人もいるが)

歴史に名を残す天才は他の誰にもマネの出来ない、誰も見たことのない何かを見つけ出し、作り出し、それを見える形に出来た人。
その新しい発見の基になる何らかの材料、その種類・量・時間。才能のない人間にも無限に近い時間をかければ、その無数の可能性の組み合わせの中から偶然正解にたどりつく者も現れるのかもしれない。あるいは自分で説明できないが、そんな偶然に”ちょくちょく”出会ってしまえる人間をこそ才能がある人と言うのだろうか?

 自分に少なくとも文才というものが無いと自覚したのは高校2年の秋だった。2年生春の修学旅行に参加した全生徒は感想文を提出する決まりがあり、優秀と認められた数点が学内公報に掲載された。

 後に生徒会長になる同級生男子の感想文を読んで衝撃を受けた。
「ウルルン滞在記」という人を食ったようなタイトルからは想像もつかないような名文だった。少なくとも高2の自分にはそう見えた。
シンプルな文章に過不足なく情報が盛り込まれ、ただの感想文を読んで旅行中の生徒の姿が目に浮かんだのは初めての経験だった。国語の教科書に載っているどんな文豪の作品よりも面白かった。

遠い昔のことなので詳しい内容は覚えていないが、当時受けたショックだけはいまだに記憶に残っている。
その感動を直接伝えに行ったが、”小学生の頃から作文を書くたびに表彰されている。いつも通り適当に書いただけで何か特別なことをしてるわけではない、文章は頑張って書くものじゃない。”とヘラヘラ笑うばかりだった。

彼は別段に成績優秀者ではなかったし、放課後はもっぱらグラウンドで過ごし図書館にいるところを見たこともないようなタイプだった。それでも彼の作る文章はキラキラと輝いて見えた。
生まれて初めて見た説明のつかない”才能”だった。

 とはいえ彼の両親が教師であったことを考えると、自宅では学校では見せない文学少年の顔を持っていた可能性は十分にある。”文豪の子も文豪”というパターンはあまり聞いたことがないので遺伝によって得た能力というのも考えにくい。ただ読み物に触れる、作文に抵抗を感じない環境に生まれついたかどうかは、その後の人生に大きく影響するとは思っている。

私の祖父は尋常小学校を卒業後、商家へ奉公に出かけるという昔話を絵にかいたような少年時代を過ごし軍隊に入った。
話に聞く限り高等教育を受けてこなかった祖父が自分の経験を随筆としてノートに書き付けていたのを知ったのは、祖父が90歳に迫る頃だった。

これは残さなければ勿体ないと思った。面白かったのだ。当時祖父が見た風景、思考、時代の空気が文章からにじみ出ていた。なにより読みやすい。読んでいてストレスを感じる出版物すら多い中で小卒の老人が生み出したとはとても思えない完成度だった。すぐにノートを祖父から”借り受け”、
(孫から請われてイヤとは言えない心理はしっかり利用させてもらった)
清書し、データ化し、勢いで小ロットの製本を依頼して小さな冊子を作り、プレゼントした。祖父は大変喜んでくれたので、ノートを無理やり”借り受けた”甲斐はあったと思っている。

 そんな祖父も、祖父から生まれた母も孫たちも皆それなりの読書家である。環境は決して悪くなかった。何かきっかけがあれば一族の中で文才が大きく開花する人もいた、あるいはこれから生まれることがあるかも知れない。

そんな祖父の冊子がきっかけになったのかは分からないが、今度は父が突然小説を書いたと言ってきたのには驚いた。
父はそれこそ文学とは無縁の人生、工業高校を卒業して職人気質の人生を歩んできた男である。読書といえば新聞とビジネス新書、小説を読んでいるところは見たこともなかった。そんな父がいきなり中編小説を書いて出してきたのだ。

結論から言えば出来は良くなかった。半歴史小説のような話だったが台詞回しも全体の構成もまとまりが無く、先の二人に比べれば全く読みやすい文体ではなかった。それでも父は書き上げたのだ。
文章を書いてみようと思い立った人が100人いたとして、最初の決意通りに最後まで書き上げられる人は1割もいるだろうか。
まして原稿用紙100枚にはなろうかという文量である。活字慣れしていないはずの父がその苦難の道を歩き切ったというだけで拍手を送りたい気持ちになる。この最後まで折れず飽きず諦めず走りきる能力もある種の才能だと思う。そういった意味では父にも作文の才能はあると思っている。

結局のところ形は違えど人それぞれに文才と呼べるものはあるのかもしれない。そこを認識して上手く活かせるかどうかなのだろう。

ちなみに自分がいま一番ほしい文才はクローズの技術である。
締めが上手い文はいい印象として残りやすい。そして自分が作文をしていて毎回いちばん苦労する部分である。何でもないことのようにキレイに締められる才能のある人が心底うらやましいと思う。

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