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Goldilocks パートナー小檜山 諒さんインタビュー

Goldilocksのメンバーの考えや人となりを第3者目線でじっくり聞いていく『DEEP INTERVIEW』。Goldilocksは複数のプロジェクトを進める実験企業です。プロジェクトごとに関わるスタッフも変わるギルド組織でもあります。Goldilocksを外部から支えるパートナーにお話を聞いていきます。今回はサービスデザイナーの小檜山(こびやま) 諒さんにお話を聞きました。

< 聞き手・写真:でんみちこ(Goldilocks PR)>

ー今日はどうぞよろしくお願いします!小檜山さんがGoldilocksと関わるきっかけってなんだったんですか?

小檜山:もともとGoldilocksの中の人と知り合いで、ある日いきなり突然メッセが来て「築地に来れる?」と。行ってみたら人とつながるアプリを作っているということで、それに関してのデザインについてどうやればいいかディスカッションをしました。

ーずいぶん急に巻き込まれた感じですね。

小檜山:はい。終わった時に「また次もお願いしますね」と言われまして。自分としてはそんなに貢献できていない気がしていたので「また次があるのか!」と少し驚きました。笑 そうして、今新サービスの開発に携わっています。

ーどういった役割を担っているんですか?

小檜山:2023年秋頃にリリース予定の空間をシェアするサービスのサービスデザインをしています。サービスが計画された初期の頃にはリサーチを行い、デザイン原則を作りました。サービスの新機能を作ってマーケティングをする際にこの原則に則ってデザインをしてくださいね、ユーザーさんともこういうコミュニケーションをとってくださいね、という基本の型のようなものです。それ以外にもオペレーションを考えたり、予約の仕組みを決めたり、wikiや取扱説明を作ったりとかなり幅広く携わっています。ブランドを開発するということにも近いし、マーケティングの範囲でもあり、とにかくいろんな人と話しながら進めていかないとできない仕事だと思っています。

↑今月から実証実験が開始されます

ー初期から関わっているんですね。

小檜山:そうですね。まだ代表の川路さん小山さんしかメンバーがいない時から三人で顔を突き合わせてツールの選定から進め方まで一緒に考えました。普通のコンサルワークだと少しチャレンジングな案を「これやりましょう」と提案しても「スコープ外だよね」とつき返されてしまいそうなことも、Goldilocksの新規事業だとどんどんやらせてもらえるのでとても自分で作ってる感があります。それが自分のノウハウになっている感覚もあるし、愛着が湧いてくるというか。昔、自分で事業をやって失敗した経験があるので、実験段階ではありますが少しずつ成功と感じられるようなお客さんからの反応が出てきてとてもうれしいと感じ始めています。

ー少しずつ成功と感じられる事象が起きるっていいですね!

小檜山:サービスって頭で考えるよりも、まず出して反応を見るってことがとても大事だと思っています。というのも、自分たちでこうなるだろうと考えていても、全く違う答えが出たりする。経験則とか予測ってのはまぁ外れるものです。ユーザーが急いでいる時、ゆったりしたい時、そんな気持ちの変化一つで結果は全く変わったりするので、とにかく出してみないとわからないから、とにかく今は仮説検証を多く繰り返して何がハマるのかを探し求めているところです。最近ようやく一つステップが上げられそうな段階まで来ました。

ー小檜山さんは普段はどういったお仕事をされてるんですか?

小檜山:デザインコンサルにいまして、例えばお客さんが何かしたいと言った時に、ビジネス開発からマーケ、事業開発、デザイン手法や考え方など何をどういう順番でやるといいのかをコンサルと実行の両方行っています。肩書きで言うとサービスデザイナーですね。オペレーションや従業員のエクスペリエンスやマニュアル作りに予約の仕組みを考えたりなど裏側のことをやっています。とてもグローバルな会社なので、今のチームは8名なんですけど全員国籍が違って、台湾やブラジル、韓国にデンマークなど英語でやりとりする毎日です。バックグラウンドがみんな違うのでとてもカオスですが、楽しいですよ。笑

ー仕事も幅広いですし、何よりすごい刺激的な環境にいらっしゃいますね。昔から刺激的なことが好きだったんですか?笑

小檜山:小中学校くらいまではコミュニケーションがそんなに得意な方ではなかったのですが、高校くらいからモテたい一心でサッカー部に入って女子のマネージャーと話す練習とかしたかな。笑 大学は心理学に興味があって福祉系の大学に進みました。アルバイトで介護施設に勤めて夜勤で介護をしていました。下の世話とかもしましたが、”そういうものだ”と言う感覚でやりましたよ。ALSの患者さん一人を2年間担当して夜中に床ずれしないように体をひっくり返したりなどもしていました。そこから就職はしたんですが、1年ほどでやめまして。沖縄に行きました。

ーおお、急に沖縄ですか!何があったんですか?

小檜山:特にこれといった理由はなかったんですけど、行って日雇い労働で働き始めました。当時の所持金が2万円くらいで、知らないおっさんとシェアハウスで同居したりしていて。コンテナからお茶のパックを1日に1000ケースくらい運ぶ仕事とかしてましたね。笑 その後ホテルの受付とかをしていたタイミングでAirbnbが始まってその運用管理の仕事を始めました。物件を取得して家具を買ったり受付したりなんかをやっていたらとても当たって、何百万円も稼ぐことができました。設定がよかったみたいで、インバウンドの波に乗った形になりました。

ーすごいドラマのような展開ですね。笑 そのあとはどうされたんですか?

小檜山:そこからは海外に行って取材する生活が始まりました。日本に海外事情を伝える記事を納品する仕事だったので、世界各地の取材先にアポイントを取って現地まで行って話を聞いて来ました。半分仕事で半分旅行のような時間でした。期間は1年弱だったのですが、ヨーロッパを中心に周り、後半はアジアと10カ国くらい行きました。はじめはお金が潤沢にあったのですが、旅費や宿泊費とあとは周りの人にビールをご馳走とかしていたので、どんどん金がなくなって。笑 それで帰国しました。

ー英語力は昔からあったんですか?帰国子女とか?

小檜山:いえいえ。全然独学です。英語はYouTubeで学びました。と言うのも、YouTuberのバイリンガールちかさんのチャンネルをずっと見ていました。ちかさんがとても可愛くて彼女を見たいからそのチャンネルを見ていたような気がします。笑 でも、動画内でシャドーイングがいいよとか言っていたら「そうなのか」、と思って言われた通りにやってみたりして、結局10年近く続けました。あとは沖縄のホテル受付の時代のお客さんはほとんどが外国人で一緒に飲みに行ったりして、その時に第二言語の拙い英語力同士で会話が通じた時とかはとてもうれしかった。そんな感じでじんわりと英語力を高めていった感じです。

ー小檜山さん、私のイメージではシュッとした人だと思ったんですが、まさかこんな泥臭いキャリアの持ち主だったとは…!やっぱりGoldilocksに集まってくる人ってクセ強い人多いですよね。笑

小檜山:そうですね。人からもちょっと変わってるとは言われるかな。笑 Goldilocksにもたくさんおもしろいひとが集まって来ているってのをとても感じます。だからサービスに関しても何かとんがったところを持ったものができると思っています。エッジが尖ったものを作って行けたらいいと思うし、いい意味で社会に迎合しないでいられたらいいんじゃないかなって。

僕自身も今の会社に入ったのもたまにご飯に行くゆるいつながりのブラジル人から声をかけられたことがきっかけだったんですよね。だから、ゆるいつながりって人の人生って大きく変えるし、可能性を広げることもできる。Goldilocksがやろうとしていることって多くの人に影響を与えられることだと思うんで、面白い仲間と色々作って行けたらいいと思っています。

ー小檜山さんありがとうございました!

小檜山 諒さんプロフィール
1991年福島県生まれ。サービスデザイナー。デザインコンサルティングファームでリサーチからUXデザインまで担当後、グローバル企業でデザイン組織の立ち上げを行う。スタートアップ企業や大企業との新規事業開発の支援に特化したファシリテーションも得意。人の行動をデザインしようと悪戦苦闘中。note:https://note.com/ryokobiyama/

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