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「暮らしの選択肢を増やしたい」 Goldilocks 小山晴也 インタビュー 

Goldilocksのメンバーの考えや人となりを第3者目線でじっくり聞いていく『DEEP  INTERVIEW』。トリオ左近山PM/ガジェットコーディネーターの小山晴也さんにお話を聞きました。

< 聞き手:永野広志(Paul.)

株式会社Goldilocks
トリオ左近山PM/ガジェットコーディネーター
小山晴也
(東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 博士課程休学中)


ハードだけじゃ満足できなかった

ーまずは幼少期からお伺いできればと。小山さんはどんなお子さんだったんですか?

そうですね…すごく覚えているのは、小学生時代の部屋のことです。マンションの一室だったんですけど、自分の部屋は通路に面していて採光が悪くて、梁(はり)しかなくて「暗くて嫌な部屋だな」と思ってたんです。ところが、父が会社で出世して、同じマンション内で引越しをすることになりました。それで、自分の部屋が東向きの窓がある明るい部屋に変わったんです。空間って大事なんだな、と思ったことを覚えています。

ー小学生から興味を持っていたというのは早熟ですね。そのまま建築を志すように?

いえ、中学、高校とそのことはすっかり忘れていて、数学とか物理とか、サイエンスに興味があったんですよ。フェルマーの最終定理とか反物質のこととか、社会の役に立ちそうな科学について調べたりしていて。でも、科学で解明されることは答えがひとつだけど、モノをつくることは答えがひとつじゃないから、そのほうが自分がやる意味があるような気がして、ふっと熱が冷めていったのは覚えていますね。

ーどんな青春を過ごされたんですか?

部活はラグビーをやっていました。ある時、ラグビー部の仕事として、文化祭のために校庭にステージをつくり、そのタイムテーブルまで埋めるということになって、力仕事に駆り出されました。前年度に先輩が購入していたコンクリートブロックが大量にあって、それを運ぶだけで一苦労だったんですが、単純に並べただけだと高さが出ないんです。

ーステージとなると、けっこう高く積み上げないと難しそうですね。

はい、そこで、いろいろと構造を計算して、コンクリートを柱状に積み上げ、その柱を間隔をあけて並べました。柱同士がどれくらいの間隔であれば、上にのせるコンパネが曲がったりしないか、強度なども考えて、ベストバランスの構造を設計することができたんです。実際の施工前に実寸大モックアップまでつくって先生にプレゼンし、ステージづくりのための追加のコンクリートブロック購入の決裁をもらいました。そして、誰がどう運べば効率よくステージをつくることができるか、という動き方のデザインにも夢中になり、気がつけばステージづくりだけじゃなく、プロジェクト全体に夢中になって取り組んでいたんです。

ーステージというハードだけじゃなく、全体をデザインしたんですね。

思い返せば、その頃から、建築物そのものより、それをめぐる関係性やしくみに興味があったのかもしれません。

ー大学時代は建築家を目指していたんですか?

最初はそう思っていました。建築家として巨匠になるんだ、と意気込んで。だけど、建築を知れば知るほど、それだけを考えていては成り立たないことに気づきました。建てることに関わる制度や、建てた後の暮らし、そこに集まる人と人のコミュニティ…。それらを統合したプロジェクト全体のことを考えたり、デザインするのがやりたいのかも、と思い始めたんです。

ー文化祭のステージの話も、建築物というハードだけには収まらない印象です。

そうしているうちに、ひょんなことから「団地」に住むことになりました。

ー団地、ですか?

神奈川県横浜市の左近山団地という場所なのですが、団地をひとつのコミュニティとして捉えた時に、より住民同士のコミュニケーションが活発になったり、新しい入居者が入りたくなるような場所やしくみをつくりたい。そう思って、入居を決めたんです。

ーなるほど。

その後、知人を通じてGoldilocks代表の川路さんと出会い、いろいろとお話を聞いたところ、大きなディベロッパーでは取り組めない「半径100mの人と人をつなぐ」というコンセプトが、まさに自分が興味を持っていた「暮らしやコミュニティのデザイン」とぴったりだったので、お手伝いさせてもらうことを決めて、今に至っています。

まずは考えずに飛びこんでみる

ーGoldilocksでは主に何を担当されていますか?

ある日、横浜市の公募で、左近山団地の空きテナントをシェアオフィスとして活用するための事業が発表され、Goldilocksとして取り組みたいと代表の川路さんに相談して「とりあえず考えてみよう」となりました。研究に迷いがあったこともあり、大学院の博士課程を休学してこのプロジェクトに全集中し、入札。無事採択されました。

ー飛び込む力がすごいですね。その特性はどこから来るんでしょうか?

もしかしたら、両親の影響が大きいかもしれません。父は大手電機メーカーに勤めていた会社員だったのですが、ある日情報系メディアに転職したんです。

情報系のエンタメが好きで、父は「これこそが俺がやりたかったことだ!」と言って、転職をしたそうです。その会社では新規事業にも取り組んでいて、ラーメンアプリをつくったりとイキイキと働いていて。そんな父を見ていたので「やりたいことができたら、道を変えてもいい」と頭のどこかで思っていたのかもしれません。

ーお母さんは、反対しなかったんでしょうか?

母もまた自由を尊重する人で「まあ、食べるのに困らなければ、何してもいいんじゃない?」というスタンスでした。だからこそ、団地に住むことを決めたり、公募に参加したり、休学してGoldilocksに加わったり、躊躇せずに動けているのかも。いいと思ったら、考えるより、すぐに飛び込んじゃったほうがいい、というのが人生における指針になっています。

ー活動していて、許せないことや怒りを覚えることってありますか?

今はあんまり気にならなくなったんですけど、みんなで決めたルールを守らないことですかね…。

ーそれもプロデュース目線ですね

基本的に上から目線なんですよ(笑)直すように気をつけてます。

ーでも、大学まで同じ学力レベルの、いわゆる優秀な人に囲まれていると、いざその外側に出た時に「ルールを守らない人」ってたくさんいて、苦労しませんか?

Goldilocksに集まってくる人はみんな「それもアリ」っていうスタンスの人ばかりなので、むしろ気にならないというか。でも、世の中にはもっと多様な人たちがいると思うので、実感として理解しなきゃなと日々思っています。

閉じている社会を開きたい

ーご自身の得意分野はどのあたりだと思いますか?

調査研究がひとつと、あとはガジェットやSaaSへの好奇心とそれらを組み合わせることですかね。わからなくてもずっとツールを触り続けて理解していくことが多いです。

ーコミュニケーションそのものも得意なんじゃないですか?

とにかく人をつかまえて話を聞かないと始まらないという研究分野だったので、そのスタンスはあるのかもしれません。

ー今の社会については、どのような課題を感じていますか?

よくないなと思うのは「歴史を鑑みない」ことですかね。同じ間取りしかない戸建団地やマンションをつくるだけつくって、30年後に管理がヤバくなるってわかっているのに、たくさん建ててしまったりして。それは現在の企業も変わりません。だからこそ、人と人のつながりから断絶されてしまった暮らしが問題だな、とも思っています。お隣と顔を合わさない「閉じた家」の形態を加速させる仕組みになっているなと。

ー最終的には、どのような社会になるといいと考えますか?

一人ひとりの価値観や選択肢が、もっと増えるといいなと思います。情報ひとつとっても、国や自治体の補助金情報に辿り着けなかったり、複雑な申請書を書かないといけなかったりとまだまだ課題だらけです。もっと簡単に情報にアクセスできて、周りの人にも聞けて、そのための安心できるコミュニティがある。そういうことが自治体単位、町内会単位で積み重なっていって、暮らし方を自由に選びやすくなる。そんな当たり前で真っ当な状態をつくりたいと思っています。

ーGoldilocksで解決できそうですか?

新しい価値観を増やすようなムーブメントを起こしたいですね。その台風の目になれるキャラクターがこの会社には集まっていると思います。

小山晴也プロフィール
1997年愛知県生まれ横浜育ち。横浜国立大学建築学科卒業後、2019年東京大学大学院入学。専門は住宅地マネジメント・災害復興。主な研究は別荘地への移住プロセス。博士課程在学中、自らが住む横浜市の左近山団地で2021年団地暮らし編集室を設立。地域内外での暮らし情報の流通促進を図る。2022年、大学院を休学し株式会社GOLDILOCKS入社。同社が運営するコワーキングスペース「トリオ左近山」を立ち上げ、運営を行う。「人と人、人とコミュニティが仲良くなる心地よいプロセス」を探求中。
twitter: https://twitter.com/trio_sakonyama

▼小山さんが取り組むトリオ左近山について

▼トリオ左近山 開業プレスリリース

▼Goldilocksに興味がある方は代表川路のインタビューもぜひどうぞ!


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